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大和三山に囲まれた神秘の藤原京 当時の繁栄を表す都を観光

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    約1300年前、北は耳成山、南東は香具山、南西は畝傍山と大和三山に守られながら、日本初の本格的な都が動き出しました。
    それが奈良県橿原市にあった藤原京です。
    今回は藤原京の中心にあった藤原宮跡を訪れ、その歴史を辿ります。

     

     

    藤原京ってこんなところ! 橿原 藤原宮跡に行く前におさえたい歴史

     

     

     

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    694年の遷都から約16年の間、都として栄えた藤原京。
    中央集権国家を目指して邁進していた天武天皇が亡くなり、天武天皇の妻 持統天皇が即位しました。持統天皇は天武天皇の意志を継ぎ、中央集権国家に向けた「新都造営」に力を入れます。そうして造られたのが藤原京でした。

     

     

    藤原京は条坊制を採用した、日本で初めての本格的な都となっています。東西の道「条」と南北の道「坊」を碁盤目状に配置し、中心には道幅の広い朱雀大路が南北に貫きます。
    なんと全体の大きさは東西約5.3km、南北約4.8kmと、平城京や平安京を上回る広さです。当時藤原京の造営がどれほど大きな事業であったのか、その広さから想像します。まだ機械のない時代、多くの人々が藤原京の造営に携わったことでしょう。

     
    天武天皇、持統天皇の中央集権国家への熱い、そして多くの人々の苦労と夢が、藤原宮跡には宿っているように感じました。

     

     

    当時の姿を伝える貴重な遺構 橿原 藤原宮跡 大宮土壇

     

     

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    持統天皇、文武天皇、元明天皇と三代にわたって政治が執り行われていたのが藤原宮です。
    平城京と平安京の宮は中央奥に位置していますが、藤原宮は藤原京の中心にあります。驚いたことに藤原宮には法隆寺の約100倍の約200万枚もの瓦が敷かれ、雄大な造りであったと考えられています。しかし藤原宮は711年に焼失したため、その面影を残す遺構はわずかしかありません。

     

    その一つが「大宮土壇(おおみやどだん)」と呼ばれる大極殿の基壇で、1935年に行われた発掘調査で発掘されました。

     

    大宮土壇から南を向くと、赤い柱がいくつか立っています。これは大極殿院と朝堂院をつなぐ大極殿院閤門(だいごくでんいんこうもん)の列柱を再現したものです。

     
    この他にも藤原京にあった門の列柱があるので、ゆっくりと藤原京を散歩しながら当時の姿を思い浮かべてみるのもいいですね。

     

     

     

    大和三山を拝む絶景ポイント発見! 橿原 藤原宮跡の重要眺望景観

     

     

     

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    藤原宮からは見事に大和三山を拝めることができ、その風景は「重要眺望景観」にも指定されているほど。広大な敷地に風と鳥の鳴き声が響き、大和三山を眺めながら静かなひとときを過ごせます。

     
    藤原京では大和三山に守られながら、大宝律令の制定や貨幣の発行などたくさんの事業が行われました。その事業に励んでいた人々の心を癒したのは、このすばらしい眺めだったかもしれませんね。

     

     

    宮中には季節によってさまざまな花が植えられており、ふんわりと花の香りが漂っています。オススメは夕日が差し込む頃。夕日に染まる藤原宮は、一度見れば忘れられないほど美しいですよ。
    季節や時間を変えて訪れる度、藤原宮の新たな魅力に心惹かれることでしょう。

     

     

    藤原京の歴史を辿る旅はいかがでしたか。
    律令制度の整備や貨幣の導入など中央集権国家に向けた多くの事業を進めるためには、大和三山の自然の守りと素晴らしい眺望をもつ橿原の地が最適だったのかもしれません。ぜひ藤原宮跡で景色を眺めながら当時の都の様子に思いを馳せてみてください。