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都会に隠れた江戸城郭を思わせる名所 千代田区東御苑で歴史散策へ

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    東京都千代田区に広がる皇居東御苑は、旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を、宮殿の造営に合わせて皇居付属庭園として整備されたものです。
    今回は大手町駅から徒歩5分の場所にある大手門から入り、東御苑の中でも注目すべき名所を紹介します。

     

     

    千代田区東御苑散策は江戸城本丸を守る検問所同心・百人・大番所から
    <写真01_alt:alt同心番所>

    大手町駅から徒歩10分のところにある大手門から入り約3分ほど進むと見えてくる大手三の門を抜けると「同心番所」があります。

     

     

    大手三の門を駕籠に乗ったまま通ることができたのは、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家だけで、その他の大名は降ろされここで検問を受けました。

     

    東御苑には、同心番所・百人番所・大番所の3つが残されています。

     

    番所とは警備のために設置された、番人の詰所のことをいいます。

     

    門から手前に位置する同心番所は、同心つまり下級役人が詰めており、主に登城する大名の供の監視にあたっていました。
    <写真02_alt:alt百人番所>

     

    そして同心番所の奥に百人番所があります。

     

    本丸と二の丸へ通じる要所であった大手門三之門を守衛した江戸城本丸御殿最大の検問場所であり、鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組・伊賀組・根来組・二十五騎組の4組が交代で詰めていました。
    <写真03_alt:alt大番所>
    さらに百人番所の目の前にある、中之門跡を抜けると大番所が見えてきます。

     

    中之門の石垣は西国大名から献上されたといわれる白い花崗岩で、大名の登城路や天守台の主要な部分だけに用いられる貴重な石垣です。

     

    門を抜け5分ほど歩いたここまでに、3つの番所を置き警備にあたっていた訳ですが、門から離れるほど位が上の役人が詰めていました。

     

     

    その中でも大番所は江戸城本丸へ通じる最後の番所であり、重要な役割をもつ検問場所でした。

    同じ検問場所でも、番所の建物や役割は異なります。比較しながら見るとそれぞれの特徴があって面白いですよ。

     

     

    所在地 : 100-0001 東京都千代田区千代田1−3

     

     

     

    公式HP : 宮内庁

     

     

     

    千代田区東御苑内 江戸時代の防御施設・富士見櫓と富士見多聞は必見
    <写真04_alt:alt富士見櫓>

     

    番所から約8分ほど歩くと富士見櫓があります。

     

    櫓とは倉庫や防御の役割をもった建物のことをいい、かつて江戸城には19の櫓がありました。

     

    富士見櫓は江戸城本丸、南側の高さ15メートルの石垣上に設けられた重要な防御施設でした。各階の窓は鉄砲や矢で攻め、敵を攻撃するための拠点でした。

     

    さらに窓からだけでなく、櫓下の石垣との境目にせり出している石落としの仕掛けなど隠れた防御設備もありました。
    <写真05_alt:alt富士見多聞>
    さらに富士見櫓から約5分ほど行くと富士見多聞があります。

     

    多聞とは戦国時代末期から城郭に使用された長屋型の施設で、堀よりも強固な防御機能をもっていました。

     

    戦時には格子窓を開け狙い撃つことができ、平時には武器や諸道具、文書などの収蔵庫、女中の住居など多様な用途に使用されていたようです。

     

     

    本丸の周囲は櫓と多聞で囲まれ万一に備えていましたが、江戸城が攻撃を受けることはなく、これら防御設備が実際に攻撃に使われることはありませんでした。

     

     

    これまで歴史ドラマなどで櫓や多聞から相手を攻撃する場面を見たことがある人も多いのではないでしょうか?

     

    実際に使われたことはなかったものの、歴史の合戦を彷彿させるような遺構に興奮すること間違いありません!

     

     

    千代田区東御苑の天守台 徳川家光時代に完成した今は幻 巨大天守閣
    <写真06_alt:alt天守台>

    そして最後は、富士見多聞から奥へ約5分ほど行った場所にあります「天守台」です。

     

     

    江戸城の天守は将軍の代替わりごとに築かれましたが、その中でも三代将軍徳川家光の時代に築いた、外観5層内部は6階、高さは58メートルの巨大な天守閣は、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣でした。

     

     

    しかし1657年明暦の大火の飛び火により全焼。翌年に現存の天守台が築かれましたが、火災でダメージを受けた町の復興が優先され、その後天守閣が再建されることはありませんでした。

     

     

    <写真07_alt:alt大芝生>
    現在ではこの天守台に登ることができ、東京の街並みを一望できます。

     

     

    さらにこの天守台から見える大芝生とその周辺は、江戸城本丸御殿の建物が建ち並んでいました。

     

     

    本丸御殿は表・中奥・大奥の3つの空間に分かれており、表は公的な儀式や行事、幕府諸役人の執務の場でした。

     

    中奥は将軍の日常生活・政務を執る場として、大奥は御台所と呼ばれた将軍の正妻をはじめとする、家族や女性たちの生活の場でした。

     

    今は天守台だけですが、高さ58メートルもの巨大な天守閣があった当時を思うと、今のように高層ビルがない江戸のまちに悠々とそびえ立っていたのでしょう。

     

     

    想像するだけでも立派な天守閣だったことがわかります。

     

    ぜひ天守台に登り、江戸時代に想いを馳せてみませんか。
    都会の喧騒から東御苑へ一歩足を踏み入れると、たちまち辺りは江戸時代の面影残す遺構にあふれます。
    ゆったりと流れる時のなかで歴史散策に出かけてみてはいかがでしょうか。