HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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日本初洋風近代都市公園江戸・明治・昭和期を巡る日比谷公園歴史散歩

  • 東京の日比谷公園は1903年に日本で最初に誕生した洋風の近代的都市公園です。
    都心のビジネス街にありながら、自然が豊かな公園です。園内でお散歩やランチをすれば全身で四季を感じられることでしょう。
    そんな日比谷公園は、かつての江戸城から近く、当時の面影残す見どころが多くあります。そこで今回は、自然だけではない日比谷公園の歴史的魅力をご紹介します。

    日比谷公園に残された貴重な遺構は江戸城の見張り番・日比谷見附跡

    <写真01_alt:alt日比谷見附跡>

     

    東京メトロ・日比谷線の日比谷駅出口すぐの日比谷公園の有楽門入口を抜けると、目の前に「日比谷見附跡」として石垣が残されています。見附とは城門の外に見張りを置くための場所を意味し、この日比谷見附跡は外郭25か所、内郭11か所の城門を持つ江戸城の見張りを置かれた場所です。当時は城の外側から、高麗門(こまもん)・桝形・渡櫓(わたりやぐら)・番所が石垣で囲まれていましたが、その一部が日比谷公園内に残された石垣です。さらに、見附には身分によって使用できる門が異なり、この日比谷見附跡は外様大名が通る門として使用されていました。

     

     

     

    また、徳川家康が江戸に来た当時の日比谷公園周辺は一面海でした。後に海を埋め立て、幕末にはこの長州藩毛利家上屋敷や仙台藩外桜田上屋敷があった場所として知られています。さらに仙台藩祖・伊達政宗終焉の地でもあり、見附跡のすぐそばには看板が立てられています。

    <写真02_alt:alt伊達政宗終焉の地>
    伊達政宗から三代綱宗の時代に、外桜田上屋敷として使用されていました。そして1636年の5月、伊達政宗は江戸参勤の際にここで70年の生涯を閉じたのです。

     

    石垣に囲まれた鎌倉・室町時代の日本庭園の趣残す日比谷公園心字池

    <写真03_alt:alt心字池>
    日比谷見附跡の奥には心字池という池が広がっており、公園内の癒しスポットです。池の向こうにはオフィスビルが立ち並ぶ中、公園内は緑にあふれ、都会の喧騒を忘れるようなゆったりとした時間が流れます。

    以前は堀だった面影を残すためここに心字池が造られました。上から見ると「心」の形をしているこのような池は、禅宗の影響を受けた鎌倉・室町時代の庭にみられる日本庭園の伝統的な手法だと言われています。
    <写真04_alt:alt心字池の石垣>
    側にあるベンチに腰掛けると心字池に沿って見附跡の石垣が伸びています。江戸時代当時の堀と石垣を彷彿させるこの心字池でひと息つきませんか。

     

    明治昭和の近代建築文化財・公園資料館と歴史的建造物・日比谷公会堂

    <写真05_alt:alt公園資料館>
    日比谷公園には江戸時代の遺構のみならず、江戸時代以降の近代の歴史を感じさせる建物があります。その一つが東京都公園資料館です。心字池からさらに奥へ約2~3分進むと見えてきます。この建物は日本初の洋式庭園である日比谷公園の管理事務所として1910年に建てられました。そして1990年に東京都の有形文化財に指定され、現在は展示室として一般公開しています。
    木造二階建てのドイツ・バンガロー風洋式の資料館は、木々に囲まれ日比谷公園に溶け込むお洒落な外装です。明治時代の近代洋風建築の一つであり、当時を偲ぶ貴重な建物として大事にされています。

    <写真06_alt:alt公会堂>
    さらにもう一つ、日比谷公園内を西側に約5分歩くと「比谷公会堂」があります。1929年、市政会館に併設して建てられました。日本最初の公会堂建築ということで現在は東京都選定歴史的建造物に選定されており、日比谷公園のシンボル的存在です。残念ながら、施設の老朽化や耐震化を理由に、改修工事を行うため、現在は施設の使用を休止しています。しかし赤褐色のタイルで造られた外観は特徴的で、建設当時の建築技術が集結して造られたと感じます。
    どちらの建物も、近代建築の趣を残す外観に目を引かれます。ぜひ公園内を回って数ある歴史的建造物に触れてみてはいかがでしょうか。

    日比谷公園は木々や池など豊かな自然と、随所にみられる歴史的遺構が織りなす素晴らしい公園です。
    公園内を一周回れば、江戸・明治・昭和時代の歴史に思いを馳せる散歩となるでしょう。