徳川家康公が愛した町 ~宝の宝庫清水 国宝「久能山東照宮」~
静岡県には徳川家康公が眠る久能山東照宮があります。
戦国の出世大名徳川家康がここ「久能山東照宮」で最後を過ごしたい!とまで言わせた「久能山東照宮」とはどのような魅力があるのかをご紹介いたします。
この記事の目次
徳川家康公のゆかりの地 駿府 国宝指定「久能山東照宮」とは?
久能山東照宮には、バス徒歩又はロープウェイのどちらかで行くことができますが今回はバスで向かいました。清水駅西口からバスで約30分。バスロータリー周辺には観光案内所があり便利です。
バス停からは徒歩約20~30分で久能山東照宮のメインの御社殿に到着します。
この御社段は、本殿・石の間・拝殿の三棟からなる複合社殿であり、江戸時代の代表的な建物です。
日本最古の東照宮建築として、2009年に国宝に指定されました。黒漆塗りや赤漆塗りがとても印象的でどこを見てもきれいです。
また、久能山東照宮は徳川家康公をご祭神としておまつりする全国東照宮の創祀です。天下の徳川家康公は生前に残した遺言を元に家臣たちが久能山東照宮を創立し、徳川家康公を埋葬しました。
権現造・彩色な漆塗りが魅力 国宝指定「御社殿」を見に行きましょう
久能山東照宮の御社殿は、徳川家康公を祀る霊廟として1617年に創建されました。
二代将軍秀忠公の命により宰相頼将卿(後の紀州家の祖頼宣卿)が総奉行となり中井大和守正清を大工棟梁として1616年5月着工、同3年12月に至る僅か1年7ヶ月と云う短期間に造営されました。
権現造、総漆塗り、極彩色の御社殿は日光東照宮より19年前に造られ、彫刻、模様、組物等に桃山時代の技法をも取り入れられた江戸初期の代表的建造物として国宝に指定されています。
権現造とは、御社殿の本殿と拝殿を床の低い「石の間」でつないだ、いわゆる権現造の形式をもつ複合社殿のことです。
権現造は前からありましたが、徳川家康公を「東照大権現」としてお祀りする久能山東照宮の創建により「権現造」と呼ばれるようになったと言われています。
「久能山東照宮」で見られる様々な 徳川家康公を見に行きましょう
久能山東照宮は、久能山東照宮は徳川家康公をご祭神としておまつりする全国東照宮の創祀です。
天下の徳川家康公は生前に残した遺言を元に家臣たちが久能山東照宮を創立し、徳川家康公を埋葬しました。
徳川家康公が埋葬されている神廟の後ろには、家康公の愛馬も一緒に埋葬されています。
久能山東照宮には、至るとこに家康公の家紋があります。
この徳川家の家紋は、水戸黄門で「この紋所が目に入らぬか」で知られるようになった葵の御紋です。
徳川家康の家紋である「葵紋」は、フタバアオイと言われる植物を家紋としたもので、京都にある加茂神社の神紋が由来となっていると言われています。
そして、楼門の隣に置いてあるのは徳川家康公のお手形です。現在で見ると体は小さいのですが、手は大きいことがわかります。
徳川家康が愛した「久能山東照宮」はいかがでしたでしょうか。
国宝だけとあって、とても当時建てられた物とは思えない綺麗な社殿は、とても魅力的です。
また、ここでは一部のみのご紹介になり、まだ紹介しきれなかった箇所もありますので是非実際に訪れて見てくださいね。