HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

HISTRIP MAGAZINE icon HISTRIP MAGAZINE

先人が紡ぐ人力の歴史 日本国を支えた世界遺産大田市の石見銀山へ

  • 日本は最盛期には世界の銀の3分の1を産出しています。

    島根県大田市の石見銀山はその多くの部分を担っていました。

    世界から付けられた名は「銀鉱山王国」。

    世界遺産となったこの地には間歩という坑道が600以上も残ります。

    先人たちが手作業で掘り進められ命を懸け日本を大きくしたその歴史の生きる場所へ訪れます。

     

     

     

    世界遺産「石見銀山」を支えた大田市大森地区が持つ最大の間歩とは

     

    島根県のほぼ中央に位置する大田市。

    アクセスは車・新幹線・飛行機があります。

    飛行機で出雲空港へ行きバスに乗り出雲市駅へ、その後山陰本線 快速アクアライナーに約20分乗り、出雲空港から約1時間30分で島根県大田市駅へと辿りつきます。

     

    <01_odashi_駅のホーム>

     

    大田市駅に着き、そこから石見銀山がある大森へはバスで約50分です。

     

    <02_odash_バス>

     

    石見銀山は1526年に九州の豪商紙屋寿禎により発見されてから以来1923年の休山まで役400年もの間採掘がおこなわれてきました。

    16世紀に石見銀山では東アジアの伝統的な精錬技術である「灰吹法(はいふきほう)」を取り入れることにより銀の現地生産を

    軌道に乗せ、良質な銀を大量に生産したとされます。

    また島根県大田市大森の地区は鉱山町として栄えました。

     

    <03_odash_まちなみ>

     

    また深い山々が迫り、海岸線も近く、港もあります。

     

    <04_odash_港まち>

     

    銀の生産から搬出に至るまでの鉱山運営の全体像が不足なく機能されていました。

    そして石見銀山の繁栄の裏には、多くの人々の力があります。

    どのような場所で採掘がされて運び出されていたのでしょうか。

    自然が産んだ奇跡を実際に体感するため、石見銀山の中でも最大規模の大久保間歩ツアーに参加してみることにしました。

    石見銀山では坑道を「間歩(まぶ)」と呼ぶそうです。

    大久保間歩は、同じ大田市にある龍源寺間歩とは別に坑内を見学することができる間歩です。

    その坑道は900mです。江戸時代から明治時代にかけて堀り広げられたとされます。

    江戸時代の手堀りの跡と、明治時代の機械での堀り跡と2種類の坑道をみることができます。

    大久保間歩ツアーへは、石見銀山世界遺産センターで申し込みができます。

     

    <05_odash_石見銀山世界遺産センター>

     

    石見銀山世界遺産センター所在地:〒694-0305 島根県大田市大森町イ1597−3

     

     

     

    大田市大森 世界遺産 石見銀山最大級の大久保間歩へ足を踏み入れる

     

    大久保間歩までバスで約10分です。

    バスを降りて山道を役1キロほど歩きます。

    本谷口番所跡がありました。ここで隠し銀の密輸を防いでいたそうです。

     

    <06-3_odash_看板>

     

    <06_odash_歩く道>

     

    本谷地区へ来ました。

    ここでは大久保間歩をはじめ、釜屋間歩などから純度の高い鉱山物が掘られていたそうです。

     

    <06-2_odash_看板>

     

    登り始めて役15分。「金生坑(きんせいこう)」に来ました。

     

    <07_odash_金生坑>

     

    ここは大久保間歩からの採掘時の水を抜くためや、搬出坑道として使われていたのでしょうか。

     

    <08_odash_金生坑>

     

    更に歩き、ようやく大久保間歩の入口に立ちました。

     

    <09_odash_大久保間歩>

     

    大久保間歩という名称は、初代銀山奉行の大久保長安が、槍を持って馬に乗って入ったといわれることからこの名前がついたとされるそうです。

    懐中電灯を持ち、ヘルメットを着用していよいよ入坑します。

    中はかすかな電気がある程度でほとんど真っ暗です。

     

    <10_odash_真っ暗な様子>

     

    電気の無い時代、「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道の中は、全くの暗闇だったそうです。

    灯りは、サザエの殻などに油を入れて、そこに火をともして使用していたようです。

     

    <11_odash_真っ暗な様子>

     

    地下深く堀り進めると、湧き水が出てきます。

    これを汲みだすのも当時は人力だったとされます。

    木製のポンプのようなものを使用し、水を汲みだしたそうです。

    いまでも坑道内は足元に水が流れています。

     

    <12_odash_ツアーの様子>

     

    また、坑道の中は空気が悪いため、空気を送る仕事もされていたそうです。

    なんと30歳になると長寿のお祝いをしたのだそう。

    そのような話を聞き、銀を採掘するということの現実が見える瞬間に鳥肌が立ちました。

    ここ大久保間歩では、火山灰がかたまってできた石に銀を含んだ水がしみこみ、銀の鉱石ができそうです。

    そのため純度の高い鉱山物が掘られていたそうです。

     

     

     

    巨大な遺構に秘められた秘密とは大田市大森で迫る世界遺産のなぞ

     

    大久保間歩を出ました。

    間歩を出た瞬間少しほっとしました。

    当時の人々は同じように毎日仕事が終わるたびに「今日も生きて出てこれた」とほっとしていたのでしょうか。

    なんだか感慨深いものがありました。

     

    <12-2_odash_出口>

     

    そこから約徒歩5分の所にかなり大きな間歩群があります。

    なんとこの間歩群の付近には住居があったようです。

    間歩のすぐ近くに住み、採掘を行っていたたのでしょうか。

    釜屋間歩(かまやまぶ)につきました。

     

    <13_odash_釜屋間歩の看板>

     

    この釜屋間歩は、備中出身の安原伝兵衛が夢のお告げで発見したと言われています。

     

    <14_odash_釜屋間歩>

     

    1596年から1615年の間に発見され、採掘されました。

    石見銀の産銀量を飛躍的に増やした立役者だそうです。

    2003年には釜屋間歩に隣接した斜面から、高さ18mの岩盤を三段のテラス状にくりぬいた巨大な遺構が発見されたそうです。

    作られた時期や目的など謎が多く「謎の岩盤遺構」です。

     

    <15_odash_釜屋間歩>

     

    説明を聞くまでは何でもない岩に見えましたが、謎の岩盤遺構と聞き、ただならぬ岩に見えてきました。

     

    <16_odash_釜屋間歩>

     

    どんな人たちがどういった目的で作ったのでしょうか。

     

    <17_odash_釜屋間歩>

     

    <18_odash_釜屋間歩>

     

    大久保間歩やその周辺の間歩群には多くの歴史が生きていました。

    電気も水道も通っていない時代にすべて人力で銀を掘り起こし、今の日本をつくってきた先人たちには頭があがりません。

    先人たちが今の日本をつくってきた証を体感しに、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

     

     

     

    世界から注目されるほどの日本の歴史を作った石見銀山が誇る最大の大久保間歩ツアーはいかがでしたか。

    大久保間歩はそこで人々の歴史を紡ぎ続けています。

    まだ謎が多く残るミステリアスな坑道のツアーへぜひ一度参加してみてはいかがでしょうか。