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日本遺産に認定!橿原市八木町、歴史街道の観光レポート!

  • 613年に造られた日本最古の官道「竹内街道・横大路」。
    古代には外交を結び、中世には経済を結び、近代には文化を結んだ大道です。
    今回は竹内街道・横大路が通る奈良県橿原市八木町の歴史に思いを馳せる旅に出ます。

     

     

    日本遺産に認定 日本最古の官道~竹内街道・横大路~

     

     

    2017年4月28日に「1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」~竹内街道・横大路(大道)~」が日本遺産に加わりました。
    竹内街道・横大路は613年に推古天皇のもとで整備された大道。古代においては、大陸との窓口であった難波から、政治の中心地 飛鳥・小墾田宮までを結び、大陸の文化が飛鳥へともたらされました。仏教も竹内街道・横大路を通って飛鳥へと伝わり、竹内街道・横大路付近には野中寺や四天王寺といった歴史ある寺院が並びます。
    中世には竹内街道・横大路の西端「堺」と東端「今井町」が二大経済都市として発展し、大道は活気づきました。江戸時代にお伊勢参りが流行し、竹内街道・横大路が通る町は旅籠や茶屋が並ぶ宿場町としてにぎわいました。

     

     

    このように文化・もの・人を運んできた竹内街道・横大路の歴史は、今の日本を語る上で欠かせないものとして日本遺産に認定されたのです。
    橿原市八木町は「1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」~竹内街道・横大路(大道)~」の一部を構成する町。
    現在も古代と変わらない道幅約24mの道路が敷かれているので、当時の道の広さを感じれます。
    では八木町を訪れ、最古の古道とともに発展していった八木町の歴史をたどっていきましょう。

     

     

    旅籠の面影残る 八木札の辻交流館で橿原市八木町の歴史を知る

     

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    下ツ道と横大路の交わる場所が、日本初の国道交差点「八木札の辻」。
    最初に訪れたのはその交差点にある「八木札の辻交流館」です。
    八木札の辻交流館は、18世紀後半から19世紀前半に旅籠(はたご)として建てられた建物で、現在もその風情を残しています。

    八木町は古くより下ツ道(中街道)と横大路(伊勢街道)が交わる場所であったことから、交通の要衝として栄えました。
    中世に入ると市が開かれて、奈良南部における「物資の集散地」となります。
    隣町の今井町は称念寺の寺内町として発展し、竹内街道・横大路沿いにある町の間で経済交流が盛んに。

    江戸初期は八木町の北側が郡山藩、南側が高取藩に支配されます。
    藩は違えど、八木町はひとつの町として人々は過ごしていました。
    江戸中期になると北側は幕府の天領となるとともに、全国的に高野詣や伊勢参りが流行。
    八木町は参詣客が訪れる「街道町」「宿場町」として発展していきます。
    その流れで八木町には商屋や旅籠が並び、多くの人々が立ち寄りにぎわいを見せていたそうです。

     

    旅籠であった八木札の辻交流館には旅人や参詣客が集い、腰を下ろして旅路の出来事を語っていたのでしょうか。

     

     

    橿原市八木町 ~八木札の辻交流館のみどころ~

     

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    宿場町として栄えた頃の八木町を感じさせる八木札の辻交流館。
    木造2階建となっており、1階は接客や主人の居室スペースとして使い、2階を宿泊施設として利用されていたそうです。
    1階の土間にはベンチが設置されており、お茶もいただけるのでまち歩きの小休憩に利用される方もいらっしゃいます。

    2階には襖で仕切られた部屋が6室あり、宿泊だけではなく襖を取って1つの大部屋にして宴会もしていたのだとか。
    旅籠としての姿はもちろん、当時の八木町で商売をしていた人々が寄りあう場所だったのかもしれませんね。

    実は八木札の辻交流館のように、八木町に江戸時代の建物が残されている背景には復旧を繰り返してきた歴史があります。
    八木町は江戸期に入るまで町の支配は南北で分かれ、北側の十市氏と南側の越智氏が絶えず勢力争いをしていたため、その度に八木町は戦禍に見舞われ建て直していたそうです。
    江戸幕府が誕生し藩制がしかれてからも南北分かれた統治が続きましたが、以前のような大きな混乱のない安定した統治が行われるようになりました。
    そうして苦しい戦乱の時代を町の人々が支えあって乗り越え、宿場町 八木町の栄華があるのです。
    そんな歴史があっていまがあると思うと感慨深いですね。

     

     

    橿原にある「花まんだらのお寺」 おふさ観音で心安らぐひとときを

     

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    八木札の辻交流館から南に約12分歩くと、「花まんだらのお寺」として知られるおふさ観音が建っています。
    境内に入って左手には3000種類以上のバラをはじめ多種多彩な花々が植えられています。
    花々を楽しみながらまっすぐ歩くと本堂に着きました。
    本堂に祀られている十一面観音像は、11の顔で四方を見て、苦しむ人々を見落とすことなく救済する観音菩薩を表したものです。
    通常本堂で拝見できる十一面観音像は代わりの像で、御本尊の十一面観音像は秘仏として厨子の中で安置されています。
    年に数回行われる秘仏公開のときには貴重な秘仏を拝むことができるので、事前にチェックしておくといいですね。

     

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    おふさ観音のはじまりは1650年。当時境内は鯉ヶ淵(こいがふち)と呼ばれる大きな池でした。
    「おふさ」という娘が鯉ヶ淵のそばを歩いていると、白い亀に乗った観音様と出会います。
    その後おふさは池の近くにお堂を建て、観音様をお祀りしました。
    有名な僧侶が建てたお寺ではないからこそ、人々の心に寄り添って身近な存在であることを大切にしているそうです。

    創建時伊勢参りが流行し、おふさ観音の周辺は横大路を通ってくる参詣客が多くいました。
    そんな参詣客をもてなす町の人々の心の拠り所となっていたのかもしれません。
    本堂を過ぎて奥へ行くと庭園と茶房もあります。美しい花々や庭園を眺めて、おふさ観音ですこし心を休めてみませんか。

     

     

    日本遺産にも登録された古道の旅はいかがでしたか。
    日本遺産のストーリーをたどるだけではなく、そこにある歴史や文化、自然を感じることで、旅は一段と面白くなります。
    古民家をリノベーションした宿泊施設もあるので、江戸時代の旅人気分でゆっくりと橿原を楽しんでくださいね。