HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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現代的まち千代田区は江戸・大正時代の趣残す近代建築の宝庫だった!

  • 日本の首都・東京は情報や流行の発信地として常に一歩先をゆく、そんな現代的なまちの風格があります。
    しかし今回は、千代田区の高層ビルが立ち並ぶ現代的なオフィス街に点在する、大正時代を思わせる古き良き近代建築を紹介します。

     

    大正時代の面影残す近代建築 国登録有形文化財・日本工業倶楽部会館

    <写真01_alt:alt日本工業倶楽部会館>
    まず最初に訪れたのは、国登録有形文化財指定の「日本工業倶楽部会館」です。

     

     

    東京駅丸の内口から大手町方面に約4分歩いた場所にあります。

     

     

    ガラス張りの現代的なオフィスビル群とは一味違った重厚な造りに目を引かれます。
    この日本工業倶楽部会館は、かつて日本の産業を代表する日本工業倶楽部の拠点でした。

     

     

    日本の産業界は明治維新の殖産興業や日清・日露戦争を経て、第一次世界大戦を機に大きく発展を遂げました。

     

     

    しかし、発展の裏では工業家同士の連絡機関は存在せず、相互の意思疎通がされていない状況にありました。

     

     

    そのため、今後のさらなる産業界の発展と利益確保のため、日本工業倶楽部を立ち上げ会館が建てられました。
    その後、関東大震災の影響により、柱の挫屈や壁全体に亀裂が入るなどの被害を受けましたが、2003年に大正時代のセセッション様式を残した一部保存方法で竣工し、現在に至ります。

    <写真02_alt:alt二体の像>
    古典様式を用いた正面玄関を見上げると、二体の像が見えます。

     

     

    左側にある男性の像はハンマーを、右側にある女性の像は糸巻きを手にしています。

     

     

    これは当時の二大工業石炭と紡績を示しています。
    圧倒的たたずまいを誇る外観に目がいきがちですが、ぜひ上を見上げて二体の像も見てみてください。

     

     

    所在地 : 100-0005 東京都千代田区丸の内1丁目4−6

     

     

    公式HP : 一般社団法人日本工業倶楽部

     

     

     

    一丁倫敦の名で知られた東京丸の内に残る日本銀行協会ビルヂング

    <写真03_alt:alt日本銀行協会ビルヂング名前>
    続いて大手町駅からすぐの場所にある「東京銀行協会ビルヂング」を訪れました。

     

     

    1916年に煉瓦造りの二階建てビルとして建てられ、渋沢栄一が創設した東京銀行協会の集会施設として利用されていました。

     

     

    現在は正面部分の二面を残し、内側に新築のビルが建っている状態で残されています。

     

     

    これは都市で歴史的建造物を保存する際に用いられるファサード保存形式であり、この形式が用いられた代表的な近代建築と言われています。

     

    また明治時代の半ばまで、この一帯は陸軍の軍用地でしたが、1890年に三菱に払い下げられ開発がすすめられました。

     

     

    その開発を担ったのが、鹿鳴館を設計したことでも知られる建築家のジョサイア・コンドル氏でした。

     

     

    彼は当時のロンドン・ロンバート街にある赤煉瓦ビル街をイメージし、3階建ての赤煉瓦造りで統一し、日本で初めて洋風オフィス街が誕生しました。

     

     

    そして辺り一帯を一丁倫敦(いっちょうロンドン)と呼ばれるようになったのです。

     

     

    その後、1914年に東京駅が、1923年には丸ビルが出来上がり、今では日本最大のビジネス街と呼ばれるような現代的街へと発展を遂げていきました。

    <写真04_alt:alt日本銀行協会ビルヂング外観>
    下は当時の面影を残す鮮やかな煉瓦造りと、その上に見える現代的なビルのコントラストは、より一層近代建築の風格を際立たせているように感じます。
    大正時代と現代の建築が融合された東京銀行協会ビルヂングに足を運び、一丁倫敦と言われた当時に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。

     

     

    所在地 : 100-0005 東京都千代田区丸の内1丁目3

     

     

     

    江戸経済を支えた五街道の起点は国重要文化財の石造二連アーチ日本橋

    <写真05_alt:alt日本橋看板>
    次は半蔵門線三越前駅をでてすぐの「日本橋」を訪ねました。

     

     

    1601年江戸に幕府を開いた徳川家康が、江戸と各地を結ぶ五街道の整備をはじめ、1604年に日本橋が五街道の起点として定められました。

     

     

    やがて全国から多くの人が集まり、日本橋は江戸経済の中心として発展を遂げていきました。

     

     

    さらに文化の面においても、化政文化が発展を遂げました。

     

     

    化政文化の代表作の一つ、歌川広重の1911年に現在の石造二連アーチの道路橋として完成し、国の重要文化財に指定された現在も、古来街道の起点として広く親しまれています。
    <写真06_alt;alt石橋>
    橋には様々な形態がありますが、この日本橋のように石造りの橋は歴史の重みを感じます。

     

     

    どっしりとたたずむ石造りと、特徴あるアーチ型は存在感を放ちます。

     

     

    さらに第15代将軍徳川慶喜が書いたと言われている橋銘の上には青銅の獅子が、橋の中央には麒麟が鎮座しています。

     

     

    獅子は東京の守護を、麒麟は東京の繁栄を表しており、永くにわたって東京・日本橋の発展を見守ってきたのでしょう。
    ぜひ江戸経済の発展を担った日本橋を訪れ、石橋や二体の像を見てみてください。

     

     

    所在地 : 103-0022 東京都中央区日本橋室町1丁目
    そそくさと人が行き交う東京オフィス街でも、ふと立ち止まって辺りを見回すと、古き良き風格を漂わせる場所・ものがあったりするものです。
    たまには足早に過ぎるのではなく、ゆったりと歴史に触れながら東京散策はいかがでしょう。
    現代と江戸・明治・大正時代が融合された東京都千代田区にぜひ足を運んでみてください。