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日本の棚田百選に選定!太平記に記載された下赤阪の棚田を目指して!

  • 大阪府に唯一存在する村、南海電車「河内長野駅」からバスで約40分の「千早赤阪村」(ちはやあかさかむら)をご存知ですか?この村は建武中興の大忠臣、楠木正成公の本拠地であり、史跡や遺跡が多く残されています!まさに歴史好きにはたまらない村とも言える『千早赤阪村』の名所をご紹介します。

     

    楠木正成公が築いた山城!中学校のすぐ先にある史跡赤阪城跡へ!

    <写真01_alt:下赤坂城址を示す看板>
    千早赤阪村には楠木正成公が築いた国史跡が3つあります。そのうちの1つで、最も北に位置するのが史跡赤阪城趾(下赤坂城趾)です。ここへは千早赤阪中学校前というバス停で下車してから、目の前の坂道を約10分進みます。千早赤阪村存立中学校の中を進んでいきますので、「本当にここなのかな?」と思われるかもしれませんが、校舎と体育館の間の細道に案内の看板があるのでご安心ください。道中は中学校の生徒さんが大きな声で挨拶をしてくれるのでとても気持ちがいいです!

    <写真02_alt:史跡赤坂城址の石碑>
    中学校を抜けるとすぐに石碑が見えてきます。下赤阪城址到着です。
    かつて城の縄張は広範囲だったそうですが、にわか造りであったために落城してしまい、残念ながら今は城の形跡は残っていません。しかし、甲取(かぶとり)や矢場武(やばたけ)などの城を連想させる地名から、ここが城であったことを物語っています。バス停からも近いので身軽に立ち寄れる名所ですよ。

     

    千早赤阪村と言えば!押さえておくべき名所の一つ「下赤阪の棚田」

    <写真03_alt:人気の観光スポット下赤阪の棚田>
    先ほどの史跡赤阪城跡の前にある赤阪城跡眺望学習広場の前には、千早赤阪村の有名名所「下赤阪の棚田」が広がっています。この棚田は日本の「棚田百選」にも選ばれ、千早赤阪村の観光スポットとして多くの旅人が訪れています。古文書「太平記」には「かの赤阪の城と申すは、東一方こそ山田の畔重々に高くして」と記されており、歴史的にも非常に貴重な棚田であることがわかります。千早赤阪村は平地が少ないため、斜面に階段状に田んぼを作ったのだそうです。人々の知恵の産物ですね。
    この絶景は誰もが大阪にいることを忘れてしまうくらいの非日常感を味わえます。目の前に広がる広大な自然の美しさにうっとりしてしまうこと間違いなしです。心を休めるにはもってこいの場所、この下赤坂の棚田で日々の忙しさを忘れて、存分に癒されてきてくださいね。写真スポットでもあるので、あなただけのアングルでぜひ絶景を残してみてください!
    <写真04_alt:下赤阪の棚田を解説する表示>
    四季折々に棚田は姿を変えます。夏場の水を引いた棚田は見ごたえ抜群だそうなので、ぜひ訪れてみてください。

     

    全ての始まりの地、千早赤阪村我らが楠公誕生地遺跡を訪れよう!

    <写真05_alt:楠公誕生地石碑>
    千早赤阪村の歴史上の人物と言えば、楠木正成公です。彼は鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に天皇を助けた人物として知られています。そんな楠木正成公の生誕の地として伝承されている場所がバス停「千早赤阪村役場前」から歩いて約10分のところにあります。古文書『太平記』にも正成が千早赤阪村に館を構えていたことが記載されており、遺構の時期は14世紀頃で、二重の堀に囲まれた中世城館跡が確認されています。また大久保利通が1875年に行った楠公遺跡めぐりの際に建立し顕彰した石碑も残されています。
    <写真06_alt:楠公誕生地石碑>
    太平記がドラマになったこともあり、楠木正成が活躍した「赤坂・千早の戦い」をご存じの方も多いと思います。彼の誕生の地に今自分がいると思うとわくわくが止まりません!近隣には村立郷土資料館や、建水分(たけみくまり)神社や楠木公産湯の井戸など、楠木正成公に関連した遺跡が多く存在しています。遺跡巡りにもピッタリな名所ばかりなので、是非旅の計画に組み込んで訪れてみてください。
    有名観光名所「下赤坂の棚田」から楠木正成に纏わる名所まで、歴史で溢れている千早赤阪村。歴史好きの方も自然が好きな方も近場で旅したい方も、しっかり楽しめる村です。楠正成公のゆかりの地、千早赤阪村で癒しのひとときをどうぞご堪能ください!