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「紀伊の飛鳥」といわれる紀の川市貴志川町へ 古墳の街をぶらり旅

  • たま駅長で一躍人気観光スポットとなった和歌山電鐵貴志駅ですが、駅周辺にはまだまだ知られざる歴史街道が広がっています。
    ここでは貴志駅周辺に今なお残る古墳群を中心に古墳の街、紀の川市のコアな部分をご紹介します。

     

    貴志駅からすぐそこ 三昧塚古墳と罐子塚古墳へ古墳時代を感じる

    <写真01__alt:alt駅からすぐそこ三昧塚古墳>
    和歌山電鐵貴志駅から北へ徒歩約3分のところに、三昧塚古墳(さんまいづかこふん)が残っています。一見、田畑の中に立つ大きな草むらのようで見落としてしまいそうですが傍には看板が立てられており、その歴史や墳丘が残されています。
    <写真02__alt:alt三昧塚古墳傍に建てられる看板>
    この三昧塚古墳は5世紀中ごろにできたもので、現在は円墳約40mしか残っていませんが、本来は前方後円墳であったと考えられています。現在は紀の川市指定の文化財として指定されています。発掘調査では埴輪が多く出土されています。街の中の歴史を垣間見えることができます。
    そしてもう一つ、貴志駅から近い罐子塚古墳(かんすづかこふん)をご紹介します。
    <写真03__alt:altこちらも駅からすぐそこ罐子塚古墳>
    こちらも約40mほどの大きさで周囲に濠跡があります。また出土品には、馬具や須恵器などがあり、三昧塚古墳とは少し違った古墳であったことがわかります。
    どちらも駅から近いところにある古墳なので、ふらっと立ち寄るには最適の歴史スポットです。

     

    まだまだあります紀の川市の古墳 街並みに溶け込む史跡 丸山古墳へ

    三昧塚古墳(さんまいづかこふん)からさらに北へ約10分、900mの距離を歩いていくと2つ目の古墳、丸山古墳(まるやまこふん)があります。
    傍には中学校があり、現代の街並みの中に溶け込みながらも1500年以上の歴史のある墳丘が今なお残されています。
    <写真04__alt:alt現代の街並みに溶け込む丸山古墳>
    この丸山古墳は約40mの大きな円形の古墳で古墳時代5世紀にできたもので、現在は竹藪に覆われていますが当時の形がほぼそのまま残っているとされています。紀の川市の古墳群では唯一の県指定の史跡で、貴志川町内ではもっとも古い古墳です。
    <写真05__alt:alt紀の川市唯一、県指定の史跡、丸山古墳看板>
    発掘調査時、多くの盗掘されている跡があり、すべてがそのまま発掘されたわけではありませんが、埴輪やガラス製小玉などが発掘されています。
    古墳時代当時の様子が不明で、どのような豪族の墓なのかなど多くの謎が残されている何とも不思議な古墳の1つです。

     

    1号から4号 4つの古墳が集まる 平池緑地公園の古墳群をご紹介

    丸山古墳から南に下がること徒歩約15分のところに、大きな池が象徴的な平池緑地公園があります。のどかな街に突如現れる大きな池は何とも迫力があり、地元の人の散歩コースとして親しまれる憩いの場です。野鳥や魚が多く生息するこの公園にも古墳群が残されています。
    <写真06__alt:alt大きな池に圧倒!平池緑地公園全貌>
    池を取り囲むように、1号、2号、3号、4号古墳と4つの古墳跡が残されており、中でも1号古墳は古墳時代6世紀につくられた長さ31.5mの大きな前方後円墳で、かつて古墳周辺には1mの周溝(しゅうこう)があったとされています。
    埴輪(はにわ)や須恵器(すえき)の高坏(たかつき)などが発掘されていることから、当時の貴志川州域の首長(しゅちょう)の墓とされています。
    <写真07__alt:alt貴志川流域の首長の古墳、平池1号古墳>
    また、平池緑地公園の傍には双子三昧塚古墳などの古墳跡が残されており、一度にいくつもの古墳を訪れることが出来ます。
    壮大な池の広がり、現代の暮らしの中に古墳が残されており、過去と現在が交差する不思議な雰囲気が流れています。
    貴志駅周辺の古墳をめぐるぶらり旅、いかがでしたか?
    このように多くの古墳が密集して造られたことから、貴志川流域は”紀伊の飛鳥”と呼ばれています。
    みなさんも知られざる古墳群を探しに貴志駅周辺を歩いてみてはいかがですか?