実業家原三溪が公開 17棟の文化財を所有する日本庭園「三溪園」
神奈川県横浜で人々に親しまれている日本庭園「三溪園」(さんけいえん)は、生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪により公開され、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟などの歴史的建造物を見ることができます。
今回はそんな三溪園の歴史旅を紹介します。
この記事の目次
110周年 新進芸術家の育成と支援の場「三渓園」の歴史を知ろう
横浜駅東口 2番のりばから市バス8・148系統に乗ること約35分、三溪園入口で下車し、約5分歩くと「三溪園」に到着します。
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年5月1日に公開されました。
175,000㎡に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置され、現在は、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟などの17棟が三溪園内にあります。
東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年頃から造成が始められ、1914年に外苑、1922年に内苑が完成するに至りました。
三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。
その後戦災により大きな被害をうけ、1953年に原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。
所在地 : 231-0824 神奈川県横浜市中区中区本牧三之谷58−1
公式HP : 三渓園
必見!国の名勝に指定された三溪園の風情溢れる建物と独特の空気感
まず初めに訪れたのは、重要文化財に指定されている建物の一つである、臨春閣(りんしゅんかく)です。
1649年に建築された臨春閣は、桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、現在では和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘、巌出御殿(いわでごてん)と考えられています。
内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細で精巧な数寄屋風書院造りの意匠を随所に見ることができ、 特に面白いのは、第三屋「天楽の間」にある欄間で、ここには雅楽に馴染み深い笙と笛など本物の楽器があしらわれています。
別荘と言われるのも納得できるほどの壮大さと存在感があるものの、奥ゆかしさも感じられます。
同じく重要文化財に指定されている旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)は1591年に建築されました。
豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物で、現在、秀吉が建てたものと確認できる数少ないものです。
迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾、そりあがった屋根は、荘厳さを感じさせます。
所在地 : 231-0824 神奈川県横浜市 中区本牧三之谷58−1 三溪園園内
原三溪から受け継がれる思いと誇りが詰まった三溪園で思いを馳せる
2016年で110周年という節目を迎えた三溪園ですが、この三溪園にはさまざまな思いが込められています。
元々個人の所有であった三溪園は、原三溪の「自然や文化財は皆で共有し、楽しむべきである。」
という精神から今日も変わらずに公開されており、本物に親しんでほしいという原三溪の思いが込められています。
また、その精神は三溪園の誇りとして当時から今まで受け継がれていて、その誇りこそが現在の三溪園を支え、人々が魅力を感じて足を運ぶ理由の一つになっているのかもしれません。
そんな素敵な歴史的背景を持った三溪園で歴史を感じ、緑に癒されませんか?
三溪園は約2時間で全域を回ることができます。
今回紹介したものの他にも重要文化財や横浜市指定有形文化財などの建造物が多くあります。
そしてそれぞれの建物には物語があり、そのひとつひとつに原三溪の思いが詰まっています。
あなたもぜひ三溪園に足を運んで、当時の情景に思いを馳せながら歴史的建造物を肌で感じてみませんか?