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徳川家康はなぜ日光を墓に選んだのか?世界遺産日光東照宮の謎

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    世界文化遺産に指定されている栃木県日光の江戸幕府初代将軍・徳川家康を祀っている日光東照宮。家康が祀られるまでは、山岳信仰が盛んな地域だったことはご存知でしょうか。
    なぜ家康はこの山深く、冷涼な地を選びきらびやかな装飾の元、日光で眠ることを決めたのでしょう。美しい歴史的建造物を巡りながら、謎を紐解きます。

     

     

     

    山岳信仰としての日光に徳川家康はなぜ眠るのか?日光東照宮の謎へ

     

     

     

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    日光は奈良時代の766年に勝道上人が訪れ、開山されました。日光連山の霊山と言われている「男体山」から、男性的な力強いエネルギーを「女峰山」からは 女性的な柔らかで優しさに包まれたエネルギーを受けていると言われています。
    勝道上人は、そういった神聖な土地である大谷川の北岸に二荒山大神をまつり、山岳信仰の聖地として開山しました。江戸初期に徳川家康の霊を祀る東照宮が建てられるまでは、山岳信仰の聖地として山に伏して修行する山伏が多く訪れていたそうです。
    山岳信仰が盛んな土地になぜ眠ることを家康自身が望んだのでしょうか。
    家康は生前に遺言で、「遺体は久能山に葬り、葬儀を増上寺で行い、位牌(いはい)は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光山に小さな堂を建てて勧請(かんじょう)せよ」と命じました。
    静岡県の久能山は家康が少年期と晩年を過ごした駿河はわかりますが、なぜ一年後に日光に移してほしいと命じたのでしょうか。
    その理由は諸説あるようで、山岳信仰の霊場だった日光には、鎌倉幕府を開いた源頼朝も寄進をしていましたが、戦国末期には衰退。源氏の末裔(まつえい)を名乗り、天下を統一した家康は、頼朝を尊敬していたことから、「日光再興」を図ろうとした可能性があると言われています。

    また家康が死後、日光に祀られることを望んだのは、江戸から見て、北辰(北極星)の方角だったからとも。
    諸説ありますが、実際日光を訪れ感じた空気感は壮大なものであり、家康はこの地の持つ特別な空気を、勝道上人と同じように感じ取り、ここに眠ることで泰平の世を願っていたのかもしれません。

     

     

     

    日光東照宮「薬師堂の鳴き龍」と称される輪王寺 薬師殿 本地堂へ

     
    日光には、家康が祀られている特徴が随所に見られます。
    東武日光駅から出ている世界遺産めぐりバスに乗りバス停「表参道」から歩くこと約2分。広い石の階段と鳥居が見えてきます。日光東照宮に到着しました。

     

     

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    鳥居をくぐると左手に国の重要文化財び指定されている本地堂(薬師堂)。
    境内は観光客で非常ににぎわっている本地堂は杉林の中から突然町が現れたような不思議な感覚になりました。

    日光東照宮の中に薬師寺があるのは家康が薬師如来を深く信仰していたためと言われています。
    現在は明治時代の神仏分離令によって神社とお寺の区別がなされましたが、東照宮の境内にあるにもかかわらず、輪王寺の中のお寺として扱われています。
    薬師殿の本地堂はまたの名を鳴竜と呼ばれ、お寺の中には「薬師堂の鳴き龍」と呼ばれる大きな龍の天井画が描かれており、その絵の下で拍子木を叩くと龍の声が聞こえるといわれています。
    実際に住職さんが実践してくださるので、ぜひ体験してみてください。

    本地堂の境内は歴史ある風格とともに新鮮色彩を放っており、写真で見るよりも実物はより鮮やかでした。
    美しい建築物を見にぜひ日光東照宮の境内へ足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。

     

     

     

    徳川家3代目将軍 徳川家光の家康への敬意 陽明門に込められた想い

     

     

     

    <写真14nikko 陽明門正面>

     

     
    続いて訪れたのは国宝に指定されている「陽明門(ようめいもん)」。
    陽明門は私たちの住む外の世界と神の世界を隔てるため、または神の領域に入るものを見張るため建てられたと言われています。
    階段を上って近づくと陽明門の豪華さがよくわかります。
    この門は徳川家3代目将軍徳川家光によって1636年に改築され、現在のような豪華絢爛な門になりました。
    そこに家康への敬意、徳川家の権力、財力の豊かさを感じました。その装飾の美しさや繊細さは見るものを魅了して止まないことから「日暮らしの門」という別名を持ちます。

     

     

    <写真17nikko 陽明門装飾 龍>

     
    屋根の装飾には数多くの霊獣、龍が刻まれています。龍は神の使いとされており、神聖な動物とされています。
    東照大権現となった家康への敬意が装飾にも表れています。さらにその下には中国の故事を表した彫刻が彫られており、これには家康が中国の思想や道徳を好んで学んでいたことが理由だとされています。
    他にも陽明門には多くの装飾が施され、その一つ一つに意味があるとされています。
    陽明門は別名にも呼ばれている通り、まさに日が暮れるまで見とれてしまいそうなほど、繊細で美しいものでした。

    <写真18nikko 唐門>

     

     

    <写真19nikko 唐門装飾>

     

     
    陽明門をくぐると本殿の入り口に建てられた国宝の「唐門(からもん)」があり、その先が本殿になります。
    唐門は、遠くで見るときと、近くで見るときでは全く見え方が異なります。
    一度遠くからじっくりと門を観察して、そのあとに近づいて見てみましょう。遠くから放っていた威厳がどういった装飾で飾られているかがわかるはずです。
    これらの装飾一つ一つに江戸時代の人々の徳川家康への尊敬と崇拝の思いを感じることができました。
    本殿も華美な装飾が特徴です。中国故事に関する彫刻が施されており、美しい白さを放ちます。
    本殿内は将軍着座の間という部屋中が金色の部屋があり、当時の幕府の権力、財力の大きさを物語っていました。

     

     

     

    日光東照宮の聖域 奥宮にある徳川家康の墓石 八角形の「奥社宝塔」

     

     

     

    <写真21nikko 眠り猫 解説>

     

    続いて進んでいくと日光東照宮境内から眠り猫が飾られている奥宮への玄関口、坂下門をくぐります。
    坂下門にいる「眠り猫」は平和を表しており、徳川家安泰の願いも込められています。
    門をくぐると、杉林が広がり、167段の階段が奥宮まで伸びています。少し長いですが、頑張って登りましょう。

     

     

    <写真22nikko 奥宮への杉林>

     

     
    階段を登りきると、重要文化財の「奥宮(おくみや)」に到着します。奥宮には徳川家康が祀られています。
    その他大名や家臣の墓は周りになく、家康の墓と縁起の良い鶴、亀が飾られています。

     

     

    <写真24nikko 奥宮全体>

     

     

     

    正確には御宝塔と呼ばれ、作られた当初は木製でしたが5代目将軍徳川綱吉によって現在の金、銀、銅を合金したものに変えられています。
    昭和までは一般の人が見物に来ることは許されない神聖な場所でしたが、1965年の三百五十年式年大祭の記念に公開されるようになりました。
    その間徳川家は代々この場所に訪れ家康を神として祀っています。

    御宝塔の周りを一周すると、出口付近に樹齢六百年の叶杉と呼ばれる御神木があります。
    この杉の前にある小さな祠に向かって願い事をすると、それが叶うといわれています。訪れた際は是非御願い事をしてみてください。
    徳川家康の墓は東照宮の最も奥にあって、その間の長い階段が私たちが神様に会うために必要な道のりなのだと思いました。
    それまでの陽明門や本殿に比べて奥宮は非常にシンプルな作りで、静かな場所でしたが、その雰囲気が威厳さをより大きく醸し出していました。
    日光東照宮 所在地: 栃木県日光市山内2301

     

     

     

    徳川家に触れる日光東照宮の旅はいかがでしたか。
    山岳信仰が盛んな地域だった日光。徳川将軍家が日光を聖地にしたことで、日光も活気あふれる町になりました。
    きらびやかで豪華な理由は徳川家の権力偉大さを表すため、何より家康への信仰の深さ故です。
    ぜひ日光東照宮を訪ねて、その偉大さと歴史に触れてみてください。