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世界遺産五箇山 200年の時を今に伝える相倉・菅沼合掌造りの魅力

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    1500mを越える山々に囲まれ、飛騨高地から日本海へ流れる115kmの庄川に沿った谷間に山県の南砺市(なんとし)にある五箇山(ごかやま)はあります。五箇山とは、相倉合掌造り集落と菅沼合掌造り集落を合わせた呼び方です。
    白川郷とともに世界遺産に登録された合掌造りの集落の魅力に迫ります。

     

     

     

    白川郷とともに世界遺産に登録された五箇山合掌造り集落とは

     

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    五箇山は、白川郷とともに1995年12月9日にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
    世界遺産に登録された理由は、2つあります。
    1つ目は、合掌造り家屋は、豪雪地帯に合わせた建築様式を代表する顕著な見本であること。
    2つ目に、合掌造り集落は、その地域の大家族制度や生産体制に見合った土地利用の顕著な見本であることです。

    構成資産は、白川郷と呼ばれる荻町集落(おぎまちしゅうらく)・菅沼集落(すがぬましゅうらく)・相倉集落(あいのくらしゅうらく)の3集落です。(ごかやま)は、富山県南砺市内の庄川沿いにある5つの谷間(赤尾谷、上梨、下梨、小谷、利賀谷)の総称。「五ヶ谷間」を音読して「ごかやま」と呼ばれるようになったと伝えられています。

     
    【白川郷と五箇山の違い】
    白川郷と五箇山の集落の違いはいくつかありますが、一つには、屋根の勾配があります。荻町集落と比べ菅沼集落や相倉集落の方が、五箇山地方の雪の方が湿気が多く重いため、ほぼ60度と少し急になっています。

    白川郷は江戸時代の初めは高山藩領でしたが、江戸時代中期以降は、明治維新に至るまで江戸幕府の直轄領でした。対して五箇山は江戸時代を通じて加賀藩領。そのため、白川郷では、江戸幕府の命で火縄銃の火薬の原料である焔硝づくりがすすめられていました。
    五箇山でも、焔硝は作られていましたが、加賀藩は軍事機密としてつくらせていたもので、床下でひっそりと焔硝づくりがすすめられていました。

     

     

    五箇山を知るには民謡を聞けばわかる!平家の落人伝説を紐解く

     

     

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    五箇山の魅力は世界遺産に登録された建築様式だけではありません!そこで人々が暮らし培われてきた歴史が民謡の中に詰まっているのをご存知でしょうか。
    五箇山は民謡の宝庫として知られ、「こきりこ節」や「麦屋節」「といちんさ」などの民謡がうたい踊りつがれ時代を越えて息づいています。「こきりこ節」は、日本最古の民謡ともいわれています。

     

    五箇山の町のなりたちを知るには、「麦屋節」という民謡をみればわかります。なんと五箇山には、平家の落人伝説があるのです。それが表現されている「麦屋節」の中の一説に

    「浪の屋島を遠くのがれきて、薪樵(たきぎか)るちょう深山辺(みやまべ)に。
    烏帽子狩衣(えぼしかりぎぬ)脱ぎうちすてて、いまは越路の杣屋(そまや)かな…」

     

     

    素朴な農作業の情景と共に、刀を鍬にかえた落武者たちの思いがつづられています。また、和紙造りや堅豆腐の都の文化が古くから入ってきたこともあり、平家の落人伝説が古くから語られています。

    平村の相倉集落、上平村の菅沼集落と、平という村の名前から連想するのは、源平合戦、源氏の追手から身を隠す平氏の落人伝説。村の名前にも平家に関する手がかりが込められているのですね。
    「麦屋節」だけではなく、田楽からはじまった「こきりこ」や、「お小夜節」にも様々な五箇山にまつわる物語が語られています。
    ぜひ訪れた際には、民謡に触れてみてください。

     

     

     

    山深い雪国で暮らす知恵の塊 産業からみる五箇山の建築の魅力

     

     

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    五箇山の建築様式はとても特徴的です。合掌をした時の肘の部分が建物とそっくりということから、合掌づくりと言われています。そんな合掌造りの家屋には、気候風土や山間の村での生活に適合したいろいろな工夫が凝らされています。
    五箇山で盛んだった3つの産業を見ることで建物の特徴の謎は解けます。

     

     

    五箇山は深い山々に囲まれており、長い時には11月から4月まで雪が降り続けるうえ、積雪は3m以上。さらに地滑りなども起き、湧水もありません。当時の技術では山から水を引いてくることもできず、稲作や畑には向かない土地でした。
    その代わりに行ってきたのが、「養蚕(ようさん)」、「和紙」、「塩硝(えんしょう)」といった産業でした。夏は塩硝や楮の栽培、冬は紙漉きをするといった工場的な形態で和紙漉きや養蚕、塩硝を製造していました。

     

     

    養蚕をするために住居の二階以上は、蚕を育てる場所として、蚕から採った糸を絹糸にする工程などが行われていました。
    地下では、焔硝づくりが行われていたため、土間の囲炉裏のすぐ横には、深い穴が掘られていたそうです。

    美しい合掌造りの景観は合理的に暮らすための知恵の塊だったのです。どれひとつとして無駄のないその建築様式。
    ぜひ産業の観点からも五箇山の集落をお楽しみください。

     

     

    五箇山と庄川の環境が産んだ絶品グルメとは

     

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    五箇山の魅力はグルメにも沢山詰まっています。
    五箇山の食文化の代表である五箇山堅豆腐のほかに、美しい庄川が産んだいわな料理、地元で採れる山菜、栃の実を使った料理やお菓子など様々です。

    「堅豆腐」とは、その名の通り荒縄で縛ってもくずれない程に堅い豆腐のことです。
    山深く人里離れた豪雪地帯の五箇山では、水分量の少ない堅いしっかりとした、堅豆腐が好都合。持ち運ぶのに荒縄で縛って運んでいたそうです。交通が不便な山間地でも日持ちが良い堅豆腐は、貴重なタンパク源として利用されていました。

    五箇山にはたくさんのお食事処があります。そのほとんどで五箇山堅豆腐を食すことができます。ぜひ一度味わってみてくださいね。

     

     
    五箇山の魅力を民謡、産業、グルメなどの様々な観点からご紹介してきました。いかがでしたか。
    合掌造りの集落はその町の景観で圧倒され、その空間に身を置くだけで満足してしまいますが、その一歩踏み込んだ先には様々な歴史と先人たちの知恵が詰まっています。
    ぜひ訪れた際には、様々な角度から五箇山の町を楽しんでください。