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なぜ龍野の「うすくち醤油」は有名になったのか その真相に迫る旅へ

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    醤油産業が盛んなことで知られる兵庫県・たつの市。その醤油は一般的に知られる「濃口」醤油とは違います。
    ここ、龍野町で造られている醤油は色がうすく、味が濃いことが特徴である「淡口」醤油なのです。
    今回は、龍野と、龍野にとって欠くことのできない存在である「淡口」醤油に迫ります。

     

     

     

    龍野の地場産業「醤油」に関する基礎知識 日本国内の醤油の有名どころ

     

     

     

     

     

    姫路駅からJRで約20分。本竜野駅で降りたら、15分歩いて龍野の城下町に着きます。
    龍野町を散策すると、醤油工場や「醤油まんじゅう」と書かれた看板があちらこちらで目に映ります。

     

     

     

    01_taysuno_看板

     

     

     

    <写真02_tatsuno_醤油工場>

     

     


    また、世にも珍しい「醤油自動販売機」がありました。

     


    <写真03_tatsuno_龍野醤油自動販売機>

     


    <写真04_tatsuno_龍野醤油自動販売機2>

     


    このように、龍野と醤油はとってはずせない関係にあります。龍野の醤油について詳しく学ぶために、まずは日本の醤油産業に関して学びましょう。
    日本国内において、醤油産業では五大醤油メーカーがその名を馳せています。
    その5つのうち3つが千葉県、1つが兵庫県のヒガシマル醤油であり、このたった2つの都道府県で国内醤油生産の半分近くを占めています。
    そしてこのヒガシマル醤油が生まれたのが、ここ、龍野なのです。

     

     

    <写真05_tatsuno_醤油工場ヒガシマル_外観>

     


    さらに、龍野で昔から盛んな醤油は、一般的に知られる「濃口」醤油とは違います。
    関西で長く重宝されている、より色が薄く、より味が濃いことが特徴の「淡口」醤油なのです。
    この「淡口」醤油を生みだし、造り始めたのが龍野なのです。

     

     

     

     

    龍野と淡口醤油の出会い 淡口醤油を発明・発展させた先人たち

     

     

     

     

    この龍野と醤油の関係は、いったいいつ始まったのでしょうか。
    龍野の醤油造りの起源は、安土桃山時代である1500年代後半に遡ります。
    1587年に円尾孫右衛門長村が酒・しょうゆ醸造業を築き、続いて1590年に横山五郎兵衛宗信が、同じく酒・しょうゆ醸造業を始めました。
    龍野では、初めは一般的な「濃口」醤油をつくられていましたが、1666年に円尾孫右衛門長徳により淡い色の「淡口」醤油が開発されたのです。 その理由は後ほど紹介します。
    そして1672年、当時の龍野城主の脇坂安政が他国にはない淡い色のしょうゆを「国産第一之品」として生産を奨励。
    その産業を保護し、発展させたそうです。 こうして淡口醤油は、龍野の特産品として強固な地盤を築きあげたのです。
    この淡口醤油は、龍野を象徴する食文化を形成しました。龍野町内を歩いていると、何度もこの文字を目にします。

     


    それは、醤油を取り入れた和菓子、「醤油まんじゅう」です。
    今回、「大三萬年堂本店」の醤油饅頭をいただきました。JR本竜野駅から歩いて15分で着くことができます。

     


    <写真07_tatsuno_醤油まんじゅう_お店外観>

     


    <写真08_tatsuno_醤油まんじゅう>

     


    砂糖の優しい甘みと醤油のしょっぱさが調和して、とても温かい味がしました。
    龍野を訪れた際に食べるべき、必見の龍野名物です。

     


    所在地 : 兵庫県たつの市龍野町本町47−2
    公式HP : 大三萬年堂本店

     

     

     

     

    たった2つの材料が龍野に淡口醤油をもたらした!その驚きの材料とは

     

     

     

     

    龍野で「淡口」醤油が生まれた理由は2つあります。
    1つはその材料に恵まれていたからです。播磨平野から豊かな「播磨小麦」、宍栗両郡からは良質な「三日月大豆」、そして手近なところから赤穂の塩が手に入る地理的環境だったのです。
    2つ目は、安定した市場があったからです。その市場において需要がありつづけたことが龍野の醤油産業を支えました。

     

    では、「淡口」醤油の材料とは何なのでしょうか。

    実は、「濃口」醤油に必要な小麦・大豆・塩に、あと2つ加えるだけなのです。それは「米」と「鉄分の少ない軟水」。「米」は蒸して甘酒にして加えます。龍野町は醤油産業が盛んになったのと同時期に、清酒産業が栄えていて、だからこそ甘酒という形で醤油産業に関係していました。「水」はたつのの中心を流れる揖保川の恩恵です。中国山地の水を集めて南下する揖保川の水は、全国まれにみる鉄分の少ない軟水なのです。

     

     

    <写真09_tatsuno_揖保川_外観>

     

     


    龍野の「淡口」醤油を重宝した市場は、京都・大阪でした。
    京都・大阪では、元々野菜・魚・肉の本来の色や味を引き出すことに価値を見い出すという食文化が根付いていたからです。

     


    <写真10_tatsuno_説明文_醤油の色>

     

    <写真11_tatsuno_説明文_醤油の味>
    だからこそ、色がうすく少量でしっかりと味がつく「淡口」醤油は、京都・大阪の人々にとって必要不可欠な調味料として大切にされたのです。

     

     

     

    国登録有形文化財である「うすくち龍野醤油資料館」に行こう!!

     

     

     

     

    播磨小麦・三日月大豆・赤穂の塩が手に入る龍野は、 醤油としての材料を兼ね備えた地理的環境にあります。そこにさらに鉄分の少ない「水」が流れる揖保川。そして当時の盛んな清酒産業から育まれた「甘酒」。これら5つをすべて合わせもった龍野だからこそ生まれた「淡口」醤油。そんな「淡口」醤油で栄えた、歴史の長い龍野だからこそ、醤油を製造する昔の様子を物語る道具や資料が眠っています。

     


    <写真12_tatsuno_龍野醤油資料館_内観>

     


    <写真13_tatsuno_龍野醤油資料館_麹>

     

     

    <写真14_tatsuno_龍野醤油資料館_内観_醤油造りの様子>

     


    今では工業化に伴い、機械による製造がおこなわれていますが、昔はすべてが手作業です。国登録有形文化財である「うすくち龍野醤油資料館」では、先人の知恵を学ぶことができます。JR本竜野駅から徒歩約15分でたどり着きます。菊一醤油造合資会社の本社として建てられ、浅井醤油合名会との合併後、龍野醤油株式会社となり、さらにヒガシマル醤油株式会社と改称したのち、現在、醤油のふるさととしての龍野を感じることのできる資料館となりました。月曜日・祝日と年末年始を除き、午前9時から午後5時まで開館されています。

     


    <写真15_tatsuno_龍野醤油資料館_玄関>

     


    入館料はなんと10円です!

     


    <写真16_tatsuno_龍野醤油資料館_木柱>

     


    この木柱が歴史の長さを物語っているようです。

     

     

    <写真17_tatsuno_龍野醤油資料館_英語表記>

     


    説明書きには英語での表記もありますので、外国からの観光客の方も元来の醤油の製造方法について学ぶことができます。

     

    入館するとまずは淡口醤油の歴史に関するビデオを見せてくださいます。そのビデオを通し、すべて手作業で醤油を製造される実際の先人達のお姿やその工夫、今では使われていない醤油製造の要であった道具について深く学ぶことができました。先人の方々は醤油製造に対し熱い思いを抱いており、彼ら独自の歌を歌いながら醤油製造を手懸けていらっしゃって、誇りを持っていらっしゃったように感じました。だからこそ、資料館に保存されている道具一つ一つに美しさを感じました。立ち寄られる際は、最初にビデオをご覧になってから資料館を周ることをおすすめいたします。

     

     

    所在地 : 兵庫県たつの市龍野町大手54-1

    公式HP : うすくち龍野醤油資料館 

     

     

    およそ350年前の小麦・大豆・塩・水・米の奇跡的な出会いが、龍野に輝きを与え続けています。龍野資料館で龍野における醤油について詳しく学んだ後に、淡口醤油を使った龍野ならではの和菓子をぜひ、お楽しみください。