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日本三大祇園祭の一つ「会津田島祇園祭」を歴史と舞台から知る散策へ

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    福島県南会津町で毎年7月22日〜24日に3日間開催される会津田島祇園祭。
    京都市八坂神社の祇園祭、福岡市櫛田神社の博多祇園山笠と並ぶ日本三大祇園祭の一つと言われており、国指定の重要無形民俗文化財に指定されています。
    そんな会津田島祇園祭を、その舞台と資料から紐解く旅に出かけます。

     

     

     

    会津田島祇園祭の起源とその舞台「田出宇賀神社」と「熊野神社」

     

     

    <01_tadeuga 鳥居>
    会津鉄道「会津田島駅」から北に徒歩約6分。赤い大きな鳥居が田出宇賀神社の目印です。
    この神社が会津田島祇園祭の舞台となっており、すぐ西には会津田島祇園会館があるため会津田島祇園祭を資料と舞台、両方の視点から理解することができます。

     

     

     

    <02_tadeuga 田出宇賀神社 >

     

    <03_tadeuga 田出宇賀神社 白い鳥居>
    赤い鳥居をくぐると、少し小さい白い鳥居が見えます。上には「田出宇賀大明神」と書いてあり、田出宇賀神社
    そして、左側に田出宇賀神社があります。
    田島は、北は会津若松城下へ40キロ、南は栃木の今市宿へ100キロの会津西街道で宿場町として栄えた南会津町の中心地です。
    そんなこの地で始まった会津田島祇園祭は、鎌倉時代の1185年頃(文治年間)に当時領主であった長沼宗政が祇園の神(牛頭天王須佐之男命)を信仰し、旧来の田島鎮守の田出宇賀神社の祭りと共に行ったことが起源と言われています。

     

     

    <04_tadeuga 熊野神社>
    鳥居の右側には熊野神社があり、祭は両神社が協力して行っています。
    1月15日前後に行われる会津田島祇園祭最初の行事であるお党屋お千度では、毎年交代で祭事を取り仕切っているお党屋本が両神社まで行き、手水舎と拝殿の間を往復して身を清めることで、祭の無事を祈願します。

    田出宇賀神社と熊野神社どちらも通常は会津田島祇園祭を感じるものはないと思っていましたが、祭当日や祭に向けた行事について知った後再び行くとその様子が目に浮かぶようでした。

    所在地 : 福島県南会津郡南会津町田島字宮本甲六621

     

     

    いつでも祭を知れる 会津田島祇園会館で展示と資料から読み解く

     

     

     

    <05_gionsai 外観>

     
    田出宇賀神社から歩いてすぐのところにある会津田島祇園会館。
    祭の様子を年間を通して見学できるよう、さまざまな展示がされています。

     

     

    06_gionsai
    展示コーナーの入り口を入って一番最初に見えるのは、七行器(ななほかい)行列の等身大人形。
    7月23日の朝に行われるもので、前から3人が御神酒、3人が赤飯、1人が鯖を運んでいて7つの器を持つことから七行器行列と呼ばれています。
    ここでは、その年のお党屋本から田出宇賀神社へとこれらのお供え物を献上します。お党屋本は初め23軒ありましたが、現在では9軒まで減ってしまいました。
    巫女が最高の盛装である花嫁姿で歩くことから花嫁行列とも呼ばれています。

     

     

    <07_gionsai 屋台1>

     

     

     

    <08_gionsai 屋台2>
    屋台コーナーでは祭の際に登場する4台の屋台の特徴的な部分を取り入れて造られた屋台が展示されています。
    屋台の一番前は、一度廃止され1994年に約120年ぶりに再び復活した子供歌舞伎の様子が示されています。パネル、人形、台本を見ることで、昔から伝統として続く子供歌舞伎を残したいという町の人の想いが復活まで導いたことを感じることができました。
    祭の際、屋台は特定の家の前で静止して歌舞伎を一幕ずつ演じながら進みます。

     

     

    <09_gionsai 展示>
    その他にも、先ほども登場したお党屋お千度など1年を通した祭りの準備の流れや以前使われていた物の展示もされています。

     

     

    所在地 : 福島県南会津郡南会津町田島字大坪30-1
    http://gionkaikan.biz-web.jp

     

     

     

    南会津で格納庫に保管されている屋台を巡る〜けんか祭りの由来〜

    会津鉄道「会津田島駅」から南に徒歩約5分。
    会津田島祇園祭では日光街道(国道121号線)に沿って、西屋台、上屋台、中屋台、本屋台の全4台の屋台が通ります。
    これらの屋台には通ることのできる区間がそれぞれ決められていて、その中を往復します。
    昔はその区間を超えると相手の屋台に自分の屋台をぶつけ、壊しあったことから、会津田島祇園祭は「けんか祭り」とも呼ばれています。
    4台の屋台は祭の時以外はそれぞれの格納庫に入れてあり、今回は本屋台、中屋台、上屋台の3つを見て回りました。
    まずは本屋台。

     

     

    <10_yatai 本屋台>
    続いて、中屋台。

     

     

    <11_yatai 中屋台>
    3つ目は上屋台。

     

     

    <12_yatai 上屋台 外観>

     

     

     

    <13_yatai 上屋台 アップ>
    取材した日は偶然扉が開いていて、屋台を見ることができました。

     

     

    <14_yatai 上屋台 展示>
    中には、1934年の田島大火で焼失した屋台の荷台と彫り物の一部も展示されています。

     

     

    <15_yatai 田島陣屋跡>
    屋台と屋台の間には、田島陣屋跡があります。
    南会津は1643年に江戸幕府直轄領となり、南山御蔵入(みなみやまおくらいり)と呼ばれました。
    1688年から1704年までの元禄年間の間に代官の住居及び役所である陣屋が田島に置かれ、会津西街道の中心となりました。
    役場庁舎の西側に田島陣屋、東側に中町陣屋、中町不動様わきに後町陣屋、と田島陣屋の位置は3度変わっています。

    会津田島祇園会館で祭のことを知ってから回ったため、祇園祭にとって屋台がどれだけ大きな意味を持つかをより理解できたように感じました。

     
    会津田島祇園祭をその舞台、展示、実際に使われる屋台をご紹介しました。
    通りを実際に歩きながら神社や展示、屋台を見ることで町の人が大切に残してきた祭の様子や雰囲気を感じてみてはいかがでしょうか。