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世界中で活躍した偉人野口英世 会津若松で現代に残る軌跡を巡る

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    明治時代から昭和時代まで、医師として、また細菌学者として世界中を舞台に活躍し、今でも世界の偉人として有名な野口英世。
    彼は、現在の福島県猪苗代町の農家に生まれましたが、実は、会津若松にも縁がありました。そんな野口英世にゆかりのあるレトロな雰囲気のスポットを3つ巡ってみましょう。

     

     

     

     

    人生をたどる旅のスタートに野口英世と母も通った末廣酒造嘉永蔵へ

    会津若松駅の一駅隣、七日町駅から歩くこと約12分。周りの建物とは比べ物にならないほどの立派な木造建築が現れました。ここが「末廣酒造(すえひろしゅぞう) 嘉永蔵(かえいぐら)」です。
    貧しい家庭に生まれた野口英世を学校に出し、面倒を見たのが小林栄先生です。その小林栄先生の親族にあたるのが末廣酒造の嘉永蔵を営む新城家であり、英世は母親と共に何度も訪れています。

     

    <11_aizuwakamatsu:末廣酒造嘉永蔵正面>

     

    【野口英世と末廣酒造を営む新城家の関係】
    野口英世は1歳半の時、両親の農作業中に、囲炉裏(いろり)へ落ちて左手の指が全部くっ付く大やけどを負いました。母親のシカは、自分の不注意で英世の左手を不自由にしてしまったことをひどく悔やみ、将来は農家ではなく学問で生計を立てるように教えるようになります。その当時の小学校は、お金持ちの子どもだけが通える場所でかなりの苦労を母親がしたとされています。

     

    英世の優れた学力は、猪苗代高等小学校の教頭であった小林栄に認められました。そうして小林栄に学費の援助を得て猪苗代高等小学校へ入学することになります。そのような縁でつながった小林栄。英世にとって生涯の恩人になり、小林栄の親族にあたる末廣酒造新城家にも通っていたのです。
    【末廣酒造嘉永蔵へ】
    末廣酒造は創業が江戸末期の1850年。現在主にお酒が造られているのはまた別の蔵ですが、現在でも個人向けにお酒を造っています。

     

     

     


    <12_aizuwakamatsu:嘉永蔵内観>

     

     

    外観もさることながら、内観にも圧倒されます。昔2階だった建物が吹き抜けになっており、なんともレトロな空間に。
    柱や梁に使われている木も立派で、ぬくもりを感じます。

    末廣酒造では、30分ごとに酒蔵と、新城家がかつて使っていた居住スペースの見学ツアーがあります。日本酒の作り方を丁寧に教えていただけるだけではなく、当時の部屋に入ることができることができるのです。
    また、驚くことに松平容保、、野口英世直筆の書など、貴重なものばかり保管されているので一瞬たりとも気は抜けません。

     

     


    <13_aizuwakamatsu:松平容保直筆の書>
    <14_aizuwakamatsu:徳川慶喜直筆の書>
    <15_aizuwakamatsu:野口英世直筆の書>

     

     

     

    蔵内に入った瞬間からほのかに日本酒の香りがする末廣酒造嘉永蔵。日本酒にあまりなじみがなく、英世を通して知った方でも、必ず楽しめます。ぜひ訪れてみてください。

     

    所在地 : 〒965-0861 福島県会津若松市日新町12-38

    公式HP : 末廣酒造嘉永蔵

     

     

     

    英世が手術を受けた旧会陽医院をリノベーションした會津壹番館へ

     

     

     

    <04_aizuwakamatsu:会津壹番館外観>
    歴史旅の途中で一息つきたいとき。そんな時におすすめなのが、この「會津壹番館(あいづいちばんかん)」です。會津壹番館は1884年に建てられた蔵造りの洋館で、中に入るとコーヒーと木のにおいがします。
    會津壹番館は、野口英世が左手の手術を受けた「旧会陽医院」をそのままに、1階は喫茶店。2階は、英世の資料館になっています。
    非常にまずしく高等小学校に行く際も、小林栄に学費を支払ってもらうほどの英世。当時の医療技術が発展していない中、手術にはかなりの費用がかかりました。当然、家から支払うことはできませんでした。どのようにして手術を受けることができたのかというと、そこに人々に愛される英世の人柄が現れていました。

     

     

    15歳になった英世は、左手の障害について作文を書きます。その作文がきっかけで、恩人の小林栄やクラスメイトからの募金が集まり、手術を受けて左手に少しの自由を取り戻したのです。その場所がここ、會津壹番館。ちなみに、高等小学校を卒業した英世は、その時に手術を担当したアメリカ帰りの開業医・渡部鼎(わたなべかなえ)の元で医学の基礎を学びました。

     

     

    <05_aizuwakamatsu:会津壹番館内のカウンター上>

     

     

    <06_aizuwakamatsu:店内>

     

     

    會津壹番館は、温かい雰囲気で、とてもリラックスできました。

     

    <07_aizuwakamatsu:酒粕プリンとダッチコーヒ―>

     

    おすすめは香り豊かな酒粕プリンと磐梯山の湧き水を使ったダッチコーヒー。どちらも美味しく、食べるのがもったいないと思ってしまうほどです。

     

    <08_aizuwakamatsu:昭和初期からあるレジ>

     

     

    さらに、店先にはこんなレジが。現在は使ってないそうですが、なんと昭和初期からこのお店にあるそうです。

     

    <09_aizuwakamatsu:二階への入口>

     

     

    2階の資料館へは靴を脱いで上がります。なんだか本当の家のようです。階段は急なので気を付けてください。

     

    <10_aizuwakamatsu:野口英世青春館>

     

     

    どの資料も丁寧で、かつ椅子とテーブルも置いてあるので、ゆっくり見学することができます。戊辰戦争敗戦後に生まれた英世の活躍を見ることで、会津若松の新しい発見があるかもしれません。
    ぜひ、このレトロな雰囲気を味わいに来てください。

     

     

    所在地 : 〒965-0878 福島県会津若松市中町4-18

     

     

    若松銀座通りの野口英世洗礼の地 青春時代を会津で過ごした証を発見

     

    <01_aizuwakamatsu:野口英世洗礼の地>
    「野口英世 洗礼の地」に訪れました。会津若松駅の一駅隣、七日町駅から歩いて約8分で到着します。現在は跡地のみ残されていますが、ここはかつて若松栄町教会(わかまつさかえちょうきょうかい)という教会でした。この教会では、当時外国人宣教師が英語とフランス語を教えており、英世は熱心に通っていました。そして19歳の時に、洗礼を受けたのです。

     

    <02_aizuwakamatsu:野口英世の初恋について>
    ここ若松栄町教会跡地では、英世の初恋の人、山内ヨネ子という女性に出逢ったため、「野口英世初恋の地」とも呼ばれています。現在、教会自体は移転しており、その跡地がレトロな街として残されています。

     

    そして、跡地に面する通りは「若松銀座通り」。大正時代から昭和初期まで、会津で一番の繁華街でした。当時は東京の銀座と同じく、両側に柳の木が植えられていました。立ち並ぶ店はどれも華やかで毎晩繁盛し、夜遅くまで大変賑わっていたそうです。

     

    <03_aizuwakamatsu:野口英世洗礼の地引きの写真>
    実際の建物はここにはありませんが、丁寧な案内板を読み、当時を想像しながら街歩きをするのも楽しいですよ。
    また、大通りではありませんが、交通量が多いので散策の際は車に気を付けましょう。

     

    所在地 : 福島県会津若松市日新町

     

    その後の英世の活躍はめざましく、1928年5月、アフリカ、ガーナの都市アクラで、黄熱病の研究中に感染し、51歳の若さで人生を終えるまで全力で駆け抜けました。ここ会津の野口英世ゆかりの地をめぐり人生を思い浮かべながら散策することもとても楽しいですよ。ぜひ一度創造力を働かせながら会津の城下町を散策してみてください。

     

     

     

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