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戊辰戦争で戦場になった会津若松 今に続く彼らの想いを感じる歴史旅

  • 福島県の「会津若松」と言われて思い浮かぶものの多くは、戊辰戦争にまつわることではないでしょうか。
    今回は、1ヶ月もの籠城に耐えた「鶴ヶ城(つるがじょう)」(会津若松城)。そして、ここで散っていった彼らが眠る、墓所を旅してみましょう。

     

     

    そこには、訪れた人にしかわからない特別な空間が広がっています。

     

     

    難攻不落と言われた鶴ヶ城 その天守閣が伝える歴史と景色を味わう

     

     

    東京からやまびこに乗り、約90分で郡山駅まで。そしてそこから1時間ほど電車に揺られ、会津若松駅に到着します。
    <01_aizuwakamatsu:会津若松駅>
    会津若松駅から、街中周遊バス「あかべぇ」で約20分。日本で唯一、赤瓦を用いた鶴ヶ城の天守閣が見えてきます。
    鶴ヶ城の前身は、1384年に葦名直盛に創営され、当時はその名を黒川城といいました。
    その後、蒲生氏郷が藩主となり、1593年についに七層の天守閣が完成。そしてその城の名前を「鶴ヶ城」としたのです。
    <01_aizuwakamatsu:鶴ヶ城の全体像>
    戊辰戦争では、約1ヶ月の厳しい籠城戦に耐えたこの名城は、1874年(明治7年)に一度取り壊されましたが、1965年(昭和40年)に再建されました。
    天守閣の内部には、一層から四層まで、会津の歴史が分かりやすく紹介されており、最上階である五層からは、会津の山々と城下町が一望できます。

     

     

    修学旅行生なども多い場内ですが、どの人も黙々と当時の資料や解説を読みます。貴重なものも多く、つい足を止めてしまうのです。
    写真を撮ることができない展示品が多いため、ぜひこれは実際に見ていただきたいです。特に、歴代の藩主たちの兜は必見ですよ。
    会津戦争以外の会津も知ることができます。

     

    会津の歴史を学び、五層へ到着。そこで広がる景色は、「きれい」「素晴らしい」このような一言では表せません。
    <02_aizuwakamatsu:鶴ヶ城からの風景①>
    <03_aizuwakamatsu:鶴ヶ城からの風景②>
    どのようにして、現在のこの風景が出来上がったのか。そこにはどれだけの想いがあるのか。
    そして、それを見守ってきた山々が、今私たちの目の前に広がっているということ。
    景色を楽しむだけではないこの鶴ヶ城。ぜひ旅の初めに訪れてみてください。

     

     

    所在地: 〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    決死の覚悟で会津へ乗り込んだ新政府軍 彼らの魂が眠る西軍墓地とは

     

     

    鶴ヶ城を出発し、大通りから「あかべぇ」に乗り約5分。「大町一町目」で降ります。バス通りから横道へ入り直進すること約2分。

    背の高い石碑が見えてきます。
    <05_aizuwakamatsu:西軍墓地石碑>
    突然現れるそれは、不思議と周囲に馴染んでいます。

    石碑を通り過ぎてまず目に入るのは公園。聞こえてくるのは向かいにある幼稚園の子どもたちの声です。

     

    新政府軍は、融通寺に屯営を置き、自軍の藩士たちをこの地に埋葬させました。
    西軍墓地には、薩摩、長州、大垣、肥州、備州藩士150名の魂が眠ります。
    西軍墓地は、一般のお墓に隣接していますが、自由に入ることはできません。
    <06_aizuwakamatsu:西軍墓地の門>
    そして門にはこのように、西軍の者たちの家紋が入っています。
    緑生い茂る中、墓石は少し見づらいです。しかし、近づいてみるとそれはとても大きく、刻まれている文字の深さを感じることができます。

     

     

    激しい戦いが繰り広げられた会津では、会津の人々の命が散っていったわけではありません。西軍の人々の命も多く散っていきました。
    西軍墓地は、東軍も西軍も関係なくただ純粋に、その戦で亡くなった人々に哀悼の意をささげる、そのような意味を持つ場所なのかもしれません。

     

     

    <07_aizuwakamatsu:引き目で見た西軍墓地>
    木陰に入り、決死の覚悟で会津にやってきた彼らに思いを馳せるのも良いと思います。

     

    所在地 : 〒965-0042 福島県会津若松市大町2-1-5

     

     

     

     

     

     

     

     

    地元に大切にされ続ける会津藩士の想い 旅の締めくくりは阿弥陀寺で

     

     

    「町方伝承館前」から「七日町駅前」まで「あかべぇ」もしくは「ハイカラさん」で約10分。最後に訪ねたのは「阿弥陀寺」(あみだじ)です。

     

     

    <08_aizuwakamatsu:阿弥陀寺入り口>
    会津藩士の多くが眠るこの阿弥陀寺。
    浄土宗の寺院で、1603年に開山されたことが始まりとされています。
    戊辰戦争中に一度本堂が焼失したため、鶴ヶ城の小天守だった御三階を仮本堂としました。
    境内には、戊辰戦争で戦死した、1300名の藩士たちが埋葬されていおり、現在でも春と秋のお彼岸には供養会が開かれています。

     

     

    <09_aizuwakamatsu:東軍墓地菊のご紋>
    東軍墓地も入ることはできず、門には立派な菊のご紋があります。
    <10_aizuwakamatsu:墓石>
    大きな石碑は、想いの重さを伝えてきます。

     

     

    <11_aizuwakamatsu:斎藤一の墓>
    そして、元新撰組三番隊隊長として有名な斎藤一のお墓もあります。お花とお酒が常に供えられており、今でも人々の心に残っていることがよくわかります。

     

     

     

    <12_aizuwakamatsu:御三階>
    そして奥にあるのが、御三階(ごさんかい)。戊辰戦争後に取り壊しが決まった鶴ヶ城から払い下げられたものです。
    現存する唯一の遺構で、見た目は3階建てですが実は4階で、当時は密議の際に使用されていました。

     

    土日のみ、内部が公開されていて、貴重なものを多く見ることができます。
    また、戊辰戦争後に謹慎を解かれた容保は、まず東軍墓地に訪れ仲間に挨拶をした後、この御三階で食事をとったと言われています。

     

     

    会津藩士と、斎藤一と松平容保。それぞれの想いが混在するこの場所は、なんとも言えない空間です。
    旅の締めくくりとして、彼らの想いを感じてみてください。

     

    所在地 : 〒965-0044 福島県会津若松市七日町4-20

     

     

     

     

     
    いかがでしたか。
    現在も、観光客と、そして地元の人々にとても大切にされている場所ばかりです。

    そこには、藩士たちの想いが眠るだけではなく、今の会津の人びとの想いも確実に込められています。

     

    そんな想いにどっぷりつかる旅を、ぜひお楽しみください。

     

     

     

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