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智積院の前身は菩提寺「祥雲禅寺」秀吉が鶴松へ贈った豪華絢爛な芸術

  • 京都東山区にある真言宗智山派総本山智積院は、国宝の障壁画と名勝庭園が広がり、訪れる人々の心を癒します。これらの障壁画と庭園、実は今の智積院のものではありませんでした。智積院ができる前にあった豊臣秀吉ゆかりの祥雲寺の遺構なのです。真言宗智山派智積院と豊臣秀吉とのつながりを紐解いていきましょう。

     

     

     

    豊臣秀吉なしでは語れない 東山七条にある智積院と祥雲禅寺の歴史

     

    〈01_tisyakuin_智積院本堂正面〉

     

    真言宗智山派総本山智積院は、JR京都駅からバスで約10分の「東山七条」にあります。

    智積院(ちしゃくいん)は真言宗智山派の総本山として現在では全国各地におよそ3,000の末寺を有しています。智積院は、講堂、庭園、国宝の画がある収蔵庫、奥には明王殿、金堂などがあります。今回は中でも庭園と収蔵庫に訪れます。さっそく散策開始です!

     

     

    智積院の前身には、豊臣秀吉が建てた祥雲禅寺(しょううんぜんじ)というお寺がありました。
    祥雲禅寺は秀吉にとって最初の息子である鶴松の冥福を祈って建立されます。子供ひとりに寺?と疑問に思うかもしれませんが、これには背景がありました。

     

    秀吉はなかなか子供に恵まれませんでした。大阪城では、正室のねね(北政所)はもちろん、16人の側室が暮らしていましたが、秀吉の子供は1人もできません。
    娘も含めて、子供は1人もいないのです。そんな中、秀吉53歳にしてはじめて、茶々(淀君)との間に鶴松が誕生しました。
    秀吉は鶴松を溺愛していましたが、鶴松は3歳という若さでこの世を去ってしまいました。そのため、祥雲禅寺を建立させたのですね。

     

    一方で同時期の智積院は秀吉によって焼き払われ、寺がない状態でした。もともと智積院は紀州(和歌山県)(ねごろじ)で開かれた学坊の名で、戦国時代には最盛期を迎えていました。
    日本に鉄砲が伝来してから、智積院の僧侶は戦国大名の島津氏と結びついて鉄砲を量産していたこともあり、僧兵による鉄砲隊の結成に踏み切ります。しかし根来寺の僧たちは鉄砲隊を組織したことにより織田信長・豊臣秀吉と敵対し、根来寺は全山を焼き払われてしまいました。
    その後智積院の住職 玄宥僧正は高野山へと逃れます。

     

    〈02_tisyakuin_玄宥僧正像〉

     

     

    〈03_tisyakuin_玄宥僧正立て看板〉

     
    1615年徳川家康が豊臣家を滅ぼし、時代は大きく変化します。家康は祥雲禅寺をそのまま智積院に寄進し、智積院は再興へと向かっていったのです。こういった経緯から、秀吉と智積院は因縁が深いと言われています。

     

    秀吉が鶴松に贈った国宝 長谷川等伯「松に秋草図」を見学に収蔵庫へ

     

     

    拝観受付所を過ぎてすぐに、国宝などの壁画が保管されてある収蔵庫があります。
    長谷川等伯一門による国宝「大書院障壁画」25面や、「桜図」「楓図」をはじめとする桃山時代の数々の障壁画が大切に収められています。

     

     

    納められている部屋に一歩足を踏み入れると、壁一面に展示された障壁画の数々が目に飛び込んできました。細やかで美しく思わず見入ってしまうものばかりです。飾られている壁画たちは、元は智積院の前身、祥雲禅寺が建てられた際に、二階建ての本堂や客殿などの内部を飾るために描かれたものでした。鶴松のために建立した祥雲禅寺。内部の装飾にもこだわり抜いたことが感じられます。

     

     

    実は長谷川等伯、豊臣秀吉と以外な共通点がありました。
    等伯は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師です。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔などの名だたる絵師と並び桃山時代を代表する名画を残してきた人物です。秀吉とは成功者としての共通点があります。
    しかし、更に深い共通点があるのをご存知でしょうか。等伯は初めから出世街道を歩んだわけではなかったようです。

     

     

    彼は、能登国・七尾(石川県)の生まれで、幼い頃、染物業を営む家の養子となり、養父や養祖父から絵の手ほどきを受けます。自らも信徒だった日蓮宗関連の仏画を主に描くようになりました。
    その後戦乱の影響で仕事が減り、等伯は故郷で画業を続けることが困難になり、1571年33歳で京に上ることを決意します。しかしなかなか才能は認めてもらえず、時間ばかりが過ぎていきました。
    京に上って18年経った1589年、等伯が51歳になった頃、人生の転機が訪れました。茶道の大成者である千利休が等伯の力を見込み、京都の名刹・大徳寺に利休が寄進する「金毛閣」の天井と柱の装飾画を描かせたのです。その後等伯は南禅寺や妙心寺といった大寺院での大仕事の機会を得るようになっていきました。

     

     

    実力が認められ、秀吉から鶴松へ贈るための祥雲寺の障壁画を描く依頼を受けます。

    もうおわかりでしょうか。農民以下の身分から這い上がり、天下人へ上り詰めた豊臣秀吉と、田舎から上京しに名だたる絵師となった長谷川等伯。とても境遇が似ています。
    境遇の似たこの二人の間には奇妙な縁のようなものもあったのではないかと思わずにはいられませんでした。

     

     

    小堀遠州の名作 智積院が誇る「池泉廻遊式庭園」へ

     

    〈04_tisyakuin_庭園遠め〉

     

     

    次に智積院の庭園をまわります。名勝庭園の見学には大人500円の拝観料が必要です。庭園は、秀吉が建てた祥雲禅寺の庭園が原型となっています。名作庭家・小掘遠州(こぼりえんしゅう)によって設計されました。
    茶人として利休の弟子にあたり、交流を持っていた遠州は、利休ならこんな庭を造るのでは、と想像力を働かせてこの庭を造りました。そのため千利休好みの庭園だと伝えられています。

     

     

    1674年に現在の形が完成。細長い池の北側の端からの景色は池と滝と築山(つきやま)とが一体となって、遠近感が強調され印象的な視覚効果をもたらす池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)が取り入れられています。
    石組と植え込みが交互に並んでおり洗練された美しさに、庭園の池が書院の下まで伸びているという珍しい形と、ほかに類を見ない雄大さも同時に感じられました。

     

     

     

    〈05_tisyakuin_庭園①〉
    実に多種多彩な切り込みがなされ、見るものを飽きさせません。特に智積院庭園でお探しいただきたいのが、「三味線のばち」の形をした築山です。
    大書院からだと奥側に見えますよ。

     

    〈06_tisyakuin_庭園②〉

     

     

    〈07_tisyakuin_庭園③〉

     

     

    名勝庭園の傑作であるこの庭園は、それぞれの四季折々の美しさを楽しむことが可能ですが、とくにツツジやサツキの咲く春から初夏にかけてより一段と艶やかさを増すそうです。

    しかしなぜ秀吉が鶴丸へ贈る庭園に、秀吉が自害まで追いやった千利休好みの庭園にしたのでしょうか。そこの謎は解けませんでした。ぜひ訪れた際、想いを巡らせてみてください。

     

     

     

     

    秀吉の息子を想う気持ちは紡がれる!ぜひ参りたい延命子育地蔵大菩薩

     

    秀吉から鶴松へ贈った遺構を見てきました。いかがでしたか。祥雲禅寺は、家康によって取り壊され、現在の智積院へと移り変わってしまいましたが、多くの宝が残されていました。
    秀吉から直接に鶴松へ贈ったものではありませんが、智積院の西側に立つ延命子育地蔵大菩薩を見つけました。

     

    〈08_tisyakuin_延命子育地蔵大菩薩遠め〉

     

     

    延命子育地蔵大菩薩とは、こどもの健康増進を祈願し、水の精霊の供養を行うものです。

     

    〈09_tisyakuin_延命子育地蔵大菩薩石碑〉

     

     

    帰ろうとした際にふと見つけ、興味を惹かれました。秀吉が溺愛した愛息子鶴松の供養ために建立された祥雲禅寺があった地。秀吉の鶴松への想いがこの土地に染み付いているかのように、隣にはこどもを想う延命子育大菩薩が今も建っていることに感動しました。

    大きなお地蔵さまのまわりに三体の小さなお地蔵さまがいるのも愛らしく、周囲に飾られていた風車もユニークです。

     

     

    〈10_tisyakuin_延命子育地蔵大菩薩アップ〉

     

     

    お花もきれいにされていることから、みなさんに愛されているお地蔵様なのだとわかり心が温まります。
    大切なお子様がいる方にはぜひ訪れていただきたい場所です。

     

     

    豊臣秀吉と智積院の意外に知られない因縁、秀吉から鶴松に贈った智積院に残る遺構を紹介しました。いかがでしたか?
    名勝庭園の風情ある空間で歴史に浸り、名画の繊細さに触れ、延命地蔵にお子様の健康を祈りにぜひ智積院へ行ってみてください。