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幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」で幕末維新の歴史がまるわかり

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    幕末維新の博物館として1970年にオープンした霊山歴史館では、坂本龍馬や高杉晋作をはじめとする倒幕派と、新選組や徳川慶喜が率いた幕府側の双方から総合的に幕末維新を学べます。
    史料の展示や3D映像、新選組の衣装を着て撮影できるコーナーもあり、年齢問わずお楽しみいただけますよ。

     

    幕末維新ミュージアム霊山歴史館の創設者、松下幸之助の想い

     

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    【幕末維新ミュージアム霊山歴史館とは】
    幕末維新ミュージアム、霊山歴史館は1970年に全国初の幕末・明治維新期の歴史を総合的にとらえて研究する専門博物館として京都に開館されました。・佐幕両派ともに日本の未来を想い活躍した京都。この地で幕末維新史を双方の視点から見ることができる歴史館です。公開は5000点を超える収集資料から約100点を選んで展覧会を行い人々に歴史を伝えます。

     

    【霊山歴史館の創設者、松下幸之助の想い】
    松下電器の創業者、松下幸之助さん。実は霊山歴史館の創設者でもあるのです。歴史館が誕生するきっかけは、歴史館の向かいにある京都霊山護国神社の境内に建つ志士たちの墓でした。当時10代~30代の若者たちが命をかけて日本の未来のために戦った幕末の志士たちのため、明治天皇の命を受けて墓が建てられました。しかし戦後、平和な世の中から志士たちは忘れられ、墓は廃れていく一方でした。
    そんな状況を見て、「明治維新の時代に生きた人々は、日本の近代化の基礎を築いた人々。そんな人々の墓が荒れていることは嘆かわしい」と明治維新から100年の1968年に墓地の復興事業を行い、志士たちの活躍を伝える霊山歴史館を1970年に建てました。

    志士だけでなく、松下幸之助の想いも込められた幕末維新ミュージアム。さらに魅力をご紹介します。

    霊山歴史館が楽しめる3つのポイントをご紹介

    松下幸之助さんが伝えたかった幕末志士たちの想い、霊山歴史館で当時を感じ、楽しむポイント3つをご紹介します。

     

    【ポイント1】映像や再現模型、パネルで解説される倒幕・佐幕の両派の幕末維新の歴史がわかりやすい!

     

    坂本龍馬や中岡慎太郎、桂小五郎(のちの木戸孝允)、高杉晋作、西郷隆盛といった倒幕側の志士たちの遺品をはじめ、近藤勇や土方歳三ら新選組、江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜など幕府側に関する資料も多数含まれています。この倒幕側・幕府側双方の資料が揃っているところは、霊山歴史館の大きな特徴のひとつです。
    日本各地に幕末の資料館はありますが、地域によって特色が異なります。会津であれば佐幕、鹿児島であれば倒幕、など集められる資料がどうしても佐幕・倒幕でわかれてしまうことが原因だそうです。
    京都はその中でも佐幕・倒幕どちらも志士が活躍した地。両方の資料が多く集まることから、こうした中立な展示ができるそうです。
    幕末ミュージアムに入ってすぐ目に入るのが特殊造型坂本龍馬像。血管が浮き出て体毛の生えた腕のリアリティーには皆さんも驚くことでしょう。
    172センチという等身大サイズの龍馬像は、顔の日焼け跡や体毛や血管なども再現された巧妙なものです。

     

    【ポイント2】坂本龍馬が斬られた本物の刀など、ファン垂涎のゆかりの品が盛り沢山!

     

    近江屋事件で龍馬暗殺に使われた刀が展示されています。刀身約42.1センチの脇差で、無数の戦闘の跡が刻まれていました。
    持ち主は、京都見廻組に所属していた当時27歳の若き幕臣の桂早之助(かつらはやのすけ)。ご存じない方も多いかと思います。
    刀と一緒に展示されている早之助の由緒書並親類書には、将軍が京都にお越しになり催された剣術の試合で優秀な成績を収め、褒美として白銀5枚を賜ったとあります。あらかじめ天井の低い室内での戦闘を予想し、名手が起用されたのですね。

    早之助は龍馬暗殺のわずか1ヶ月後、「鳥羽伏見の戦い」で戦死したため、同時に近江屋の2階に突入した見廻組の今井信郎や渡辺篤のように龍馬暗殺を語ることができず、現在でもあまり知られていないのかもしれません。

     

    【ポイント3】圧倒的な展数の多さとテーマに沿った特別展示で何度訪れても楽しい

     

    霊山歴史館の収蔵資料は5,000点以上にのぼります。霊山歴史館の展覧会では、数多くの資料の中から、毎回テーマに合わせて約100点が公開されています。
    2018年は大河ドラマ西郷隆盛にちなみ、大西郷展を行っています。

     

    霊山歴史館で維新史に残る「近江屋事件」を学ぶ

     

    さっそく霊山歴史館の2階を散策中、特に目に留まった展示がありました。
    維新史で外せない出来事のひとつ、坂本龍馬・中岡慎太郎最期の時、1867年11月15日に起きた近江屋事件の当日の様子を復元した再現模型でした。

     

    2階の奥の八畳間から、刀を受け止める龍馬、龍馬に斬りかかる桂早之助、短刀で身構える中岡慎太郎、ふすまに手をかける高橋安次郎、脇構えで部屋に入ろうとする渡辺吉太郎、指揮をとる佐々木只三郎。
    近江屋の家族を見張る土肥仲蔵、階段下で斬られた龍馬の用心棒を務める藤吉、入口に見張役の桜井大三郎、外の見張役に今井信郎!
    と、忠実に再現された近江屋の模型に見入ってしまいました。

    人の動きや部屋の様子が細かいところまで再現されており、緊迫した空気を感じました。新選組に狙われているとの情報がありながら、近江屋から会合の場所を移さなかった龍馬と慎太郎。
    幕末維新に大きな影響を与えた志士、龍馬と慎太郎は襲われたとき、なにを思ったのでしょうか。

     

     

    乙女に宛てた手紙をひも解き「維新志士 坂本龍馬」の誕生を探る

     

     

    展示コーナーには新選組の袖章や朱印状などがケースに収められていました。中でも目を引いたのが龍馬が書いた姉に宛てた手紙の復元です。

    龍馬の母親は龍馬が12歳のときに亡くなり、母親代わりとして姉の乙女が龍馬を育てました。
    文武両道であった乙女は、龍馬に剣術や読書を懸命に教えたそうです。
    乙女の熱心な教育が維新志士・坂本龍馬を生んだとも言えます。
    そんな姉に宛てた手紙。いったい何が書かれているのでしょうか。

    手紙の内容は「お龍が妻になったこと、新婚旅行に行ったこと、長州で戦争に参加したこと」といった報告が主でした。
    その他にも、お龍に命を助けられたことや、親から付けられた名前は龍であるが紛らわしいので、鞆と改名させたことも書いてあったそうです。
    大好きな姉に、お龍のことを妻だと認めてほしい、妻を知ってほしいという龍馬の気持ちが伝わってきます。

    さらに「天下の世話は実に大雑把なもので、命さえ捨てる覚悟があればとても面白いことである」と大きく成長した姿をアピールしています。
    いかに龍馬にとって乙女の存在が偉大であったのかをうかがい知ることができますね。

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    幕末維新の学び、お楽しみいただけましたか。
    霊山歴史館は常設展示だけではなくテーマに沿った展覧会をしているため、事前にHPでどんなテーマの展示が行われているかチェックするのがオススメです。
    館内は撮影コーナーを除いて撮影禁止となっておりますので、ご注意くださいね。